集めた300万円を知人に預けたら…
ところが、悪いことに、集めた300万円を知人に預けていたところ、いつの間にかなくなってしまっていたのだ。
「くそーっ! こうなったら、化粧まわしをつけないで、(幕下以下が着ける)木綿のまわしで土俵に上がってやる!」
貴闘力はそこまで思いつめた。残っている金は10万円。その金を持って、大井競馬場で一発勝負に出たところ、10万円が160万円に。次のレースでその160万円が400万円に化けたのだから、人生はわからない。
「ギャンブルがいいか悪いかは別として、この時はギャンブルに救われました。その400万円で、化粧まわしや締め込みを買うことができたんだからね」
89年夏場所、新十両の貴闘力は、「博多山笠」のみこしがデザインされた化粧まわしを着けて、十両土俵入りに臨んだ。付け人には、当時幕下だった16歳の貴花田が付いた。
「まさに、人生が変わった時だったと思いますね。この場所は6勝(9敗)しか挙げられなくて、翌場所、幕下に陥落したけれど、幕下で全勝優勝して、9月の秋場所で十両に復帰。そこから、34歳まで関取でいられるとは、この時は想像もできないことだったなぁ」
ちなみに、付け人を務めていた貴花田は、11月の九州場所、17歳で十両に昇進。翌年3月の春場所では、兄の若花田も十両に昇進し、世の中は一気に、「若貴ブーム」に湧き上がった。
若貴、兄弟子の安芸ノ島(当時)、貴ノ濱(のち、豊ノ海)、そして貴闘力の藤島部屋の関取衆の朝稽古は、鬼気迫るものがあった。
「稽古場だとしても、負けたくない! そういう緊張感が毎日続いたので、オレや貴ノ濱関のように大して素質のない力士でも、幕内で活躍できたんだと思う。師匠の指導は相変わらず厳しかったし、部屋のみんながライバルですよ」