元関脇・貴闘力。大関・貴ノ花に憧れて、15歳で藤島部屋(当時、のち二子山部屋)に入門。1983年3月場所、初土俵。90年の新入幕は、曙、若花田(のち若乃花)と同時昇進だった。180センチ、150キロの小柄な体ながら、ファイト溢れる相撲で、殊勲賞3回、敢闘賞10回、技能賞1回を受賞、2000年3月場所では、平幕優勝を果たした。02年9月場所で引退後は、年寄・大嶽を襲名し、後進の指導にあたっていたが、10年7月、相撲協会を去る。10年10月にオープンさせた東京・江東区の「焼肉ドラゴ」で、その波乱の人生を語ってもらった。【第4回/全5回】

貴闘力

 93年2月。二子山部屋(初代・若乃花)と、貴闘力らが所属する藤島部屋が合併して、「新生・二子山部屋」がスタートすることになった。

 旧二子山部屋からは、幕内・三杉里、隆三杉ら12名、そこに旧藤島部屋の38名が加わって、二子山部屋は総勢50名の角界一の大所帯になった。

「今年4月、元白鵬の宮城野部屋が閉鎖になって、宮城野部屋所属の力士たちが伊勢ヶ濱部屋に転籍したよね。いまだに寝るスペースが足りていないという話を聞くけど、この時の二子山部屋も、上がり座敷とか廊下とかで力士が寝起きしていたものだよ(笑)。
 一般的に、“部屋の力士の人数が増えるのはいいこと”みたいに思われているけど、ここまで増えると、師匠の指導が追いつかない。1人1人の力士をきちんと見てあげることができなくなっちゃうんだよね。それと、旧二子山部屋のとウチの部屋の生活上のルールが違うから、それでケンカになったり……。タバコを吸っている先輩に、“タバコは止めたほうがいいんじゃないんですか? ”と注意しても、“なんで悪いの? ”っていう感覚だから、しっくりこなかったなぁ」

 合併の弊害はその後も出て、若い力士たちが次々に辞めて、数年後には30人前後程度に落ち着いたという。

 また、私生活の面でも、大きな変化があった。大鵬親方(当時)の三女・美絵子さんとの結婚だ。

「昔、死んだ親父に、“結婚するなら、身長が180センチくらいある大柄な女性がいいぞ”と言われたことがあったんですよ。元妻(現在は離婚)は176センチと大鵬親方ゆずりの長身。生まれた時から家が相撲部屋で、力士との接し方も慣れているし、そういう面で、年下でも安心できたことも大きかったね」

 ただ、父の大鵬親方に結婚の挨拶をしにいった時は、相撲の取組より緊張したと言う。

「大鵬親方の自宅にお邪魔したら、お酒や珍しいつまみが出てきて、なかなか結婚を申し込む言葉が出てこなかったんですが、親方のほうから“よろしく頼むな”とおっしゃってくれて……」