1935年、まだ大正ロマンの残り香が漂う長崎県長崎市、カフェや料亭を営む家庭でこの世に生を受けた美輪明宏。たぐいまれなる美貌と表現力で、歌手、俳優として活躍するとともに、人生相談の回答者としても人々の心の支えとなってきた。’24年6月に出版された著書『私の人生論 目に見えるものは見なさんな』(毎日新聞出版)と、THECHANGEの電話インタビューで、美輪明宏の“いま”に迫る──。【第2回/全3回】

美輪明宏 撮影/御堂義乘

現代のシニアは「おしゃれがお上手」

 世界各地で起きている紛争(ふんそう)に心を痛めながらも、いまの日本で若者たちが”平和な時代の顔”をしていることに安堵(あんど)する美輪明宏。その思いは、同じ時代を生き抜いてきた同世代にも感じているという。

「街で見かけるシニアの方たちも、おしゃれがお上手ですよね。アール・デコ風のファッションの方をお見かけしたり、髪の毛をカラフルに染めていらっしゃったりして、第二次世界大戦が始まる前の大正モダンというのでしょうか、モボ・モガのようなおしゃれな時代に戻ってきたのですね。良い時代になったと思います。私も89歳で黄色い髪を貫いておりますしね」

 いまでこそ、美輪のトレードマークと言えば、黄色い髪の毛。しかし、デビュー前は紫色に染めて、銀座の街を闊歩していたという。

——戦後間もない軍国主義の風潮がまだ残っていた頃です。男は男らしく丸刈り頭で国民服、女はパーマネントは禁止、髪は短く切られモンペ姿しか許されませんでした。そんな時世に私は輸入されたばかりのカラーリンスで髪を紫に染めたのです。(『私の人生論 目に見えるものは見なさんな』より)

「当時は終戦後で、いまのようなヘアカラー剤がなかったので、夜のお勤めの女性なんかは、ビールで髪を洗って赤くしたりしていたんです。でもまわりは軍国主義の教育を受けた人ばかりでしたから、国賊とかなんとか言われて石を投げつけられるような時代でした」