時代を先がけた“紫色のヘアースタイル”が転機につながる
その頃、美輪は銀座の「銀巴里」というシャンソン喫茶の専属歌手として人気を博していた。出演する歌手も、客も一流だった伝説の店だが、一時期客足が遠のいた時期があったという。
そこで美輪が考えたのは……。
——(前略)華やかな日本の「小姓文化」を再現させたい、そのきっかけをつくりたかった
「小姓文化」とは、戦国時代から江戸時代にかけて、武将たちが美少年を寵愛した習慣のことである。有名なのは、織田信長の小姓・森蘭丸。5代将軍の徳川綱吉も、御用人の柳沢吉保ら美少年たちを愛でたという。
「行きつけの美容院……山野愛子さんのところなんですけれど、当時は数々の色の染め粉を仕入れるのも勇気が必要だと思うんです。そこで彼女が“こういうのが入ったのよ”と、さまざまな色の染め粉を見せてくれたんですね。私は髪を紫色に染め、着るものも紫色に統一して銀座を歩いたんです。案の定、国賊扱いされて非難の嵐でしたけど、おかげで有名になって『銀巴里』にお客様が戻ってきてくださいました」
男でも女でもなく、唯一無二の妖しい魅力を放つ美輪明宏は、世間から「シスターボーイ」「男女(おとこおんな)」とののしられながらも、文化人たちは彼に夢中になった。そう、「小姓文化」の再現である。
——銀巴里では、江戸川乱歩さん、川端康成さん、三島由紀夫さん、遠藤周作さん、寺山修司さん、五木寛之さんら多くの作家と知り合い、大切なことをたくさん教えていただきました。なぜこれほどの方々と知遇を得たのか、今となっては本当に不思議ですが、きっと芸術好きな少年だった私に神様が人生の設計図をこしらえていてくださったのだと思っています。
美輪はこの設計図に導かれるように、寺山修司が主催する劇団・天井桟敷の「毛皮のマリー」や、江戸川乱歩原作、三島由紀夫脚本の舞台「黒蜥蜴」などに主演。テレビや映画の世界でも活躍するようになる。
美輪明宏(みわ・あきひろ)
1935年生まれ、長崎県出身。16歳でプロ歌手としてデビューし、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で注目を集める。1957年に「メケ・メケ」、1966年に「ヨイトマケの唄」が大ヒット。俳優としては、1967年に寺山修司の「演劇実験室◎天井桟敷」の旗揚げ公演「毛皮のマリー」ほかに、三島由紀夫と組んだ「黒蜥蜴」ほか、数多くの作品に出演。以降、演劇・リサイタル・テレビ・ラジオ・講演活動など、幅広く活動。また、さまざまなメディアで人生相談の回答者をつとめ、絶大な支持を得ている。
●作品情報
著書『私の人生論 目に見えるものは見なさんな』
毎日新聞出版
大切なのは、その人の心や魂を見ることです。
恐れず人と向き合い、心穏やかに生きるための〈美輪流〉55の知恵
定価:1870円(税込み)