王道をダサいと思っていたところもあったのかな

 八幡浜にはライト兄弟よりも早く飛行機を考案し、その模型を作った二宮忠八という偉人もいるんですよ。

 あるとき、その模型の実寸大が作られて、それを飛ばそうというイベントがあった。僕もイベントに行ったのですが、飛行機が飛ぶどころか事故寸前ぐらいその場でグルグル回転してしまって……それには衝撃を受けました。

 小学校を卒業して、中学、そして高校生。気づけば僕は、メインストリームから外れた、いわゆる“サブカル系”になっていました。

 先輩たちがBOOWYやユニコーンで騒いでいたときは、海外のメタルバンドを聴いていた。『ドラゴンボール』もいまだ読んだことないですし、当時大ヒットしたテレビゲーム『ドラゴンクエスト』もプレイしていない。そういった王道をダサいと思っていたところもあったのかな……(笑)。

 読む漫画雑誌は『ガロ』。ヘタウマ系統の代名詞の一人である、花くまゆうさくさんなどを読んでいました。大学時代には『ガロ』に投稿するための漫画も執筆。出版元の青林堂さんに漫画の持ち込みをしていた芸人なんて僕しかいないんじゃないでしょうか(笑)。あと、僕に多大な影響を与えたのは格闘技の専門雑誌『紙のプロレス』。吉田豪さんの「マンガ地獄変」の連載を愛読し、『映画秘宝』でも吉田豪さんの文章を読み、サイン会にも足を運ぶほどでした。

 とにかく“王道=ベタなこと”が恥ずかしかったんです。人とは違うことをしたかった。

 学生プロレスも始めました。歩いて比叡山を目指したり、新興宗教団体の道場に突入するなど、激しく変なことをしている姿に、強く興味を抱いたんです。

(つづく)

レイザーラモンRG
立命館大学在学時代にプロレス同好会(RWF)に所属。住谷正樹(のちのレイザーラモンHG)と出会い、在学中の1997年にお笑いコンビ「レイザーラモン」を結成。吉本興業に所属し、2000年には、「ABCお笑い新人グランプリ」で審査員特別賞を受賞し、コンビで東京進出を果たす。『R-1ぐらんぷり』では、11年、12年で準決勝に進出し、14年には初の決勝進出を果たして準優勝。17年にも決勝に進出するなど精力的に活動し、近年ではものまねのレパートリーを広げている。