1997年にレイザーラモンHGとともにお笑いコンビ「レイザーラモン」を結成したレイザーラモンRG。『R-1グランプリ』では、11年、12年で準決勝に進出、14年には初の決勝進出を果たして準優勝。17年にも決勝に進出するなど精力的に活動し、近年ではものまねのレパートリーを広げている。そんなレイザーラモンRGの“THE CHANGE”に迫る。【第1回/全2回】

レイザーラモンRG 撮影/山田智絵

 あるあるを言ったり、ものまねをしたり、いろいろやらせていただいてますが、直近でヒットしたのは、私服でドクロのジャージを着ている細川たかしさんのものまね。あれは好評をいただいて。

 写真週刊誌に載ったあのセットアップのジャージと同じものを13万円で買ったのですが、結果、あのものまねで300万円以上は稼がせてもらえましたね(笑)。

 今年で芸歴27年になりますが、僕の芸人としての人格が形成されたのは、小学生のときでした。

 4年生の夏休みに熊本県から愛媛県の八幡浜市という場所に引っ越したんです。

 クラスの友人関係はすでに固定されている中で、友達がゼロの中へ飛び込んでいくという形になってしまった。どうすればこの仲間に入れるだろう……。そこで僕が取った行動は虚勢、ハッタリをきかせることでした。

 運動会が間近にあったので、50メートル走のタイムを1秒もサバを読んでリレー選手になったり、太鼓の経験者を探していたら、やったこともないのに立候補したり。

 もちろん、嘘にならないよう走り込みをし、太鼓も未経験だとバレない程度まで練習をして仕上げました。仲間の輪に入りたいという思いもあってのことですが、今思えば、誰もやりたがらなかったリレー選手や太鼓を引き受けることで、みんなを喜ばせたかったんでしょうね。サバを読んだり太鼓に挙手したりしたのは。誰かに喜んでもらいたいから……という行動原理は今、芸人をやっている理由にもつながってくるのかな、と。

 僕が少年時代を過ごした八幡浜市は港町。放課後は防波堤で釣りを。土曜日はジュニアサッカーに勤しむ日々を送っていました。