デビュー作『ションベン・ライダー』から丸40年をまわった俳優・永瀬正敏。製作国や、作品の規模に捉われずに作品を重ねてきた。一見クールに映るその内側に、熱い青の炎を燃やし続けているような永瀬さんのTHE CHANGEとはーー。【第4回/全4回】

永瀬正敏 撮影/有坂政晴

 改名前の石井聰亙名義時代から、長年にわたって組んできた石井岳龍監督との最新タッグ作『箱男』が公開になった。最新としたが、本作は原作者の安部公房(1993年1月22日没)公認のもと始動していたものの、27年前に、撮影予定だったドイツ入りまでしながら、撮影前日に製作中止となった過去がある。

――27年前に頓挫していた企画がようやく実現し、公開に至りました。あらためて、率直な気持ちを教えてください。

「まずは石井監督の思いの強さを感じますね。一度、ここまで来てなくなった企画は、捨ててしまうという人もたくさんいると思います。また新しい方を進んでいこうと。もちろん石井監督も、新しい方向、作品へも進んでらっしゃいましたが、でも『箱男』もずっと諦めなかった。安部さんとの約束を果たすんだという思いがあった、その強さだと思います」

 この27年の間も、ずっと空白だったわけではない。

「監督にお会いするたび、“諦めていない”とおっしゃっていました。実際に立ち上がろうとしたときも何度もあったんです。でも結局形にはならなかった。そうした経験が我々の中にはあるんです。今回、作品が完成して、監督とのメールのやりとりのなかに“やっと前へ進めます”とありました。やっぱり、どこかにずっと止まっているものがあったんだと思います。あの時、安部さんに託された『箱男』を観ていただきたかった思いもありますが、でも今だからこそ描けたこともたくさんある。時間も必要だったのかもしれません」