バラードの名曲『大きな玉ねぎの下で』、青春ソングの定番『Runner』や夏と言えば『リゾ・ラバ-Resort Lovers-』など80年~90年代にかけて多くのヒット曲を音楽シーンに送り出した爆風スランプ。そのボーカリストであるサンプラザ中野くんは、早稲田大学出身でスキンヘッドにサングラスという特徴のある見た目で、テレビタレントとしても活躍。今年でデビュー40周年という節目を迎えた爆風スランプ。人気バンドのフロントマンとして活躍した中野くんの人生の転機とは?【第1回/全5回】

サンプラザ中野くん 撮影/松野葉子

「僕は、バンドに入るまで歌ったり、歌詞も書いたことがなかったんです」

 数多くの名フレーズを生み出した爆風スランプのボーカリストで、作詞も手掛けるサンプラザ中野くん。「爆風スランプとして活動する前から、音楽活動はしていたのですか」という問いかけに対して、意外にも冒頭のような答えが返ってきた。

「バンド活動のきっかけはスカウトです。僕と同じ高校の先輩や後輩が組んでいた『スーパースランプ』のリーダーに、電車の中でスカウトされたんですよ。そのバンドには、高校の同級生だったパッパラー河合さんが、大学入学と同時に加入していて、“河合がバンドに入ったから見に行こう”とライブに行ったらすごく面白かった。
 いまだに俺のなかではスーパースランプがナンバー1バンドなんです。彼らのすごかったところは、アマチュアバンドなのにコピー曲がなくてすべてオリジナル曲だった。楽曲も面白かったし、みんな虫の格好を着て演奏していたんですよ(笑)。女の子は背中にちょうの羽を着けていたし、河合さんは、新聞紙を詰めたスウェットを緑色に塗って芋虫をやっていた(笑)。“河合さんはすごく良いバンドに入ったな~、うらやましい”って、思っていました」

 取材中も聞きやすいよく通る声で明朗に答えてくれる中野くん。自身の音楽歴について振り返ってもらった。

「学生時代はブラスバンド部に所属して、中学のときに親にギターを買ってもらった。ちょうどフォークブームだったので、さだまさしさんの曲をマネして弾いてみたり。音楽活動の経験と言えば、それぐらいです。スーパースランプのライブを見に行ったら、ちょうどそのライブでメンバーが半分辞めてしまった。ボーカルも辞めてしまったんです。残ったメンバーから“中野、ボーカルできる?”って声をかけられて、ライブを見たばかりで憧れていたバンドだったから、迷うことなく“入ります”って返事をして、加入しました」