サザンも輩出したコンテストで、首位を争うバンドメンバーが合体し「爆風スランプ」に

 そんな中野くんと盟友ともいえるのがギターのパッパラー河合さんだ。中野くんとは高校時代からのつきあいだが、スーパースランプから爆風スランプに至るまで、どのように活動を続けていたのだろうか。

「爆風スランプの成り立ちって、俺と河合さんがスーパースランプから抜けて爆風銃のメンバーと合体した形なんです。爆風銃っていうファンクバンドのリズム隊と、スーパースランプというニューウェーブなバンドのメンバーが合体してできたバンドが、爆風スランプ。
 80年代はコンテストにいっぱい出ていました。チェッカーズも同じコンテストに出たことがあります。僕らが出た『EastWest』というコンテストから、サザンオールスターズやCASIOPEA(現在はCASIOPEA P-4)が出場してプロになっていた。いわばプロへの登竜門的な存在だった。
 僕らも2年続けて出たけれど、優勝したのが爆風銃で、スーパースランプは2位だった。そのふたつのバンドが1年間それぞれライブハウス活動していたんですけれど、全然プロになれなかった。それで業を煮やしたドラムのファンキー末吉が、河合に“一緒にバンドをやろう”って声をかけた。彼が渋谷の屋根裏で河合を口説いているのを、俺が立ち聞きして“俺も入れてくれよ”って言って、それで4人がそろったんです」

 ちなみに、中野くんとも交流があったというデーモン閣下とはどのようなつながりがあったのだろうか。

「デーモン閣下と俺たちの関係は、爆風スランプが誕生したときに、スーパースランプの次のボーカリストとして加入したのがデーモン閣下だったんです。僕が1代目のボーカリストで、彼が2代目ボーカリスト。3代目のボーカリストも入ったんだけれど、その人だけメジャーデビューしていないですね」

 類まれなスター性が見いだされ、バンドのフロントマンとして才能を開花したサンプラザ中野くん。まさにチェンジを体現しているようだった。

サンプラザ中野くん
1960年8月15日生まれ。山梨県甲府市出身の千葉県育ち。歌手、作詞家、ミュージシャン。早稲田大学在学中からバンド活動を始め、アマチュアながら数多くのコンテストで入賞。1984年にオリジナル・アルバム『よい』で爆風スランプとしてデビュー。以来、数々のヒット・チューンを生みだす。また作詞家としてアーティストへの歌詞提供や、コメンテーターとしてタレント活動なども行う。今年はデビュー40周年を記念し、爆風スランプとして26年ぶりの新曲リリースや、ツアー開催を行う。

リリース情報
デジタルシングル『IKIGAI』
2024年8月25日(月)配信開始

デビュー40周年に爆風スランプ再集結! 26年ぶりの新曲を配信リリース!
ジャケットはデビュー曲「週刊東京『少女A』」を再現! 当時と同じく、関口和之氏(サザンオールスターズ)がメンバーの顔を描画。