全体主義の空気がある中で、自分に正直に違う考えを持つことは、意地っ張りじゃないとできない
考えてみれば、そもそも親父も同じように意地っ張りで頑固だったと思うんだよね。独特な人でした。
親父は昭和3年生まれなんですよ。学生時代は志願をすれば、学徒出陣で兵隊に行くような年齢だった。親父はオレが子どものときに、たまに戦争の頃の話をしてくれて、「オレは戦争に行きたくないから逃げ回っていた。とにかく戦争が嫌いで軍人が嫌いで……」と言っていた。
終戦間近に学校に軍人が来て軍事教練をするらしいんですが、連帯責任でひとりヘマをすると、皆がビンタをされる。その頃のことを親父は、「軍人が嫌いで怖くて戦争に行きたくなくて逃げ回っていた」って面白おかしく話してくれるんです。
「だって銃で撃たれたら痛そうだろ」ってオレに言うんですよ。どうやったら戦争に行かないでいいか、進路を考えた親父は、農業をやればいいと考えて、農工大に進学したそうです。
全体主義の空気がある中で、自分に正直に違う考えを持つことは、意地っ張りじゃないとできないと思うんだよね。
そんな親父と同じように意地っ張りだから、オレは世の中からどうバッシングされようと、慣れっこなのかもしれない。デビューしたときから反発をくらうことは多いので、自分は別に批判されてもいいんですよ。
ただ、事務所は大変。一番怖いのはうちの社長(妻・太田光代)です。いざ炎上をしてしまったら、もう社長の怒りをどう収めるかしか考えられない。社長は俺の言ったことに異論はなくとも、社長業としては、トラブルに対処しなければいけないわけで。そうすると、だんだんとイライラがつのってきて、「また余計なことを言って!」と怒られるわけです。それが一番怖い。
そんなときの田中(裕二)ですか? 我関せずです。オレが選挙特番で炎上したときだって、そもそも番組すら、見ていなかったんじゃないかな。
太田光(おおたひかり)
1965年5月13日、埼玉県出身。1988年、日本大学芸術学部演劇学科で知り合った田中裕二とのお笑いコンビ『爆笑問題』としてデビュー。以降、お笑いタレント、司会者、作詞家、文筆家、川柳作家として活躍の場を広げる。
『芸人人語 旧統一教会・ジャニーズ・「ピカソ芸」大ひんしゅく編』
朝日新聞出版1760円
安倍元首相銃撃事件、旧統一協会、ジャニーズ問題、ロシア・ウクライナ戦争、ハマスとイスラエルの衝突……話題となった出来事から人間の未熟さ、弱さを見つめ、世の中の深層をさらにえぐった論考集。