お笑い芸人を目指していた高校時代

 しかし、平穏な学校生活を取り戻した後には、やや道を外れかけていた時期もあった。授業をさぼったり、仲間たちと悪さをしたり、生活態度は荒れていった。動物への愛情は変わらなかったが、少々やんちゃな青春時代を過ごしていたという。

「高校生くらいから、私はお笑い芸人を目指していたんです。けっこう本気だったと思います。社会を風刺するようなネタで、爆笑問題さんのような感じですね。電車の中などでわざと周りに聞こえるような声で相方とネタ合わせをし、乗客がクスッと笑ってくれるかどうか試したりしていました」

 お笑い芸人を目指していたという意外な過去を打ち明けてくれた横田さん。お笑いを通じて動物保護を訴えていきたいと考えていたそうだ。

「そんな時、道路で死んでいる仔猫とその亡骸に寄り添う母猫に遭遇したんです。自分が車に轢かれるかもしれないのに母猫は子猫の側を離れようとはしない。母猫の本能的な愛情に深い感動を受け、この日を境にすさんでいた生活態度を改め、真面目に行動するようになりました」

 高校3年生の時、アルバイトに向かう途中で仔猫の亡骸を見つけ、道路脇で弔ったが、当時の自分の姿では人に命の尊さを訴えても伝わらないと気がついた。子どもの頃から変わらず真摯に動物に向き合い、事故等で不幸な死を遂げた動物たちを弔うことを続けていたが、人からは奇異の眼差しで見られることも多かったのだそうだ。

 「人は見た目が大事です。内面は変わらなくても外面が悪いと、相手への伝わり方が変わるのです。愛する者を亡くして悲しんでいる方や、悩みを抱えて相談にいらっしゃる方にとっては尚更です。ですから、きちんとした身なりをするようにしています。変わらないものは動物の気持ちに寄り添うということです。これは幼いころから変わりません」

 事故で亡くなった仔猫とその母猫に遭遇し、改心した横田さんは、お笑い芸人を目指しながらも大学進学を決意する。

影響を受けた本は『孔子』、大学時代の運命の出会いから僧侶の道へ

「まだお笑い養成所というものはなかったので、とりあえずは大学に行こうと。上岡龍太郎さんが好きだったので、大学に入ってから弟子入りしたいと考えていました。そして浪人時代に本屋さんで、なぜか井上靖の『孔子』が目にとまって買って帰ったんです。そしたら相方もまったく同じ本を買っていたんですよ。本当に偶然です。子どもの頃はあまり本を読まなかったのですが、これをきっかけにたくさん読み漁りました。年間で100冊は読んだと思います。哲学書が好きで、D・カーネギーは大好きでした。そして、人に何かを伝えることはすごく意味のあることだと気づいたんです。もともとお笑い芸人になろうとしていたのも、人に何かを伝えたかったんだと思います」

 一年の浪人生活を経て、めでたく大学に進学するのだが、動物園が近くにあることがその大学を選んだ理由だという。そして、その動物園でアルバイトをしていた時に出会った女性と結婚し、そのご実家がお寺だった。サラリーマン生活を経た後に27歳で出家し、家族と離れ、修行寺に上山した。

「妻との出会いが私を僧侶へと導いてくれました。でも、お寺を継ぐためではなく、出会う者たちにお経を上げたくて僧侶になろうと決めたんです。ですから、修行を終えたら元の会社に戻るか他の会社に再就職しようと考えていました。しかし、修行寺で経験したいくつかの出来事が原因で、私は僧侶であり続けるべきだと考えるようになったのです」

 修行を終えた横田さんは、修行寺から歩いて帰る途中で臨死体験することになるが、その時にも動物によって救われ、僧侶として務めを果たしている。

 横田さんの人生の節目「THE CHANGE」は、常に動物の命とともにあった。いつも動物に救われてきたという言葉通り、動物たちとの不思議な体験と導きによって、僧侶という職にたどり着く。幼い頃、菩提寺の和尚さんに「動物には読むお経がない」と言われ大きなショックを受けたが、実際に僧侶となった今、動物も人間も分け隔てなく亡くなった者たちにお経をあげ、ペットロスで苦しむ方の心のケアをし、動物保護など幅広く動物愛に溢れた活動を続けている。

横田 晴正(よこた はるまさ) 
1971年生まれ。東京都出身。27歳で出家し、2001年に新潟県長岡市でペット霊園ソウルメイトを設立。2013年に東京都杉並区に東京分室を開室。ペットのお坊さんとして葬儀・火葬・供養・パラカウンセリングを行い、人のお坊さんとして曹洞宗長福寺の壇務を行なっている。『坂上どうぶつ王国』(フジテレビ)をはじめ、多くのメディアに出演。ペットロスをテーマに、人と動物との絆について講演、執筆活動を続けている。著書に『ありがとう。また逢えるよね。~ペットロス心の相談室~』がある。