ふたりの方向性が定まったのはコロナ禍があったから

 コロナ禍は芸人が手掛けるYouTubeが注目され、登録者数を伸ばした時期でもあったが、「動画とかネット配信者になるとかそういう流れもあったけど、“そういうのはやめよう”とネタに絞った」と、ともしげさんが振り返る。

ーー『Mー1』があるのかどうかもわからないまま、ネタを作っていた。

ともしげ「そうですね。衣装もちゃんとしようってことで、僕は裸足をやめてちゃんとジャケットを着ようとか、そういうところを変えていったり。いつもは8分でやっていたけど、3分で完結するネタとか、再現性の高いネタにしようとか、いろいろと改めていきました」

ーーコロナ禍があったからこそ、ふたりの方向性が強固に定まったように感じます。

ともしげ「そうですね。そのとき芸人がわりと“やばいやばい”となっていて、ヤーレンズとかがネタ見せ会をやってくれたりして、“地下の芸人で一緒に頑張りましょう”と言ってくれたのも大きかったですね。やる気のある奴が結構いたから、一緒に頑張った感じがします」

ーーそこから2021年の『Mー1』で決勝進出を果たしますが、今の話を聞くと、その流れがとてもドラマチックに思えてしまいます。

「いやあ、どうかな。でも本当にラッキーだったと思います」

ともしげ「実は、この年に芝くんが2人目の子どもを授かっていたことは、あとから聞いたんです。しかも同時期にかもめんたるの槙尾(ユウスケ)さんから、“マキオカリーの支店をやらないか”というお誘いが来ていたということもあとから知って。芝くん、いろいろと天秤にかけてやっていたんだな」

「子どもが2人いてさすがにこの状態だと、なかなか厳しいというか、行ききっちゃわないとだんだん先がキツくなるかな、という、ちょうどその頃ですね。槙尾さんがマキオカリーの吉祥寺店をオープンしようと思っていて“そこで店長をやらない?”と。結構、一瞬ちゃんと悩んだんですよ。でも“今年だけは頑張りたいので、かんべんしてください”と断ったんです」