福島県いわき市出身の小松みゆき。1990年に「小松美幸」としてグラビアデビュー、翌年にはヌードも披露し、グラビアモデルとしてトップの人気を誇った。10月11日に公開された映画『ル・シャルダンへようこそ』では、コロナ禍のクラブを舞台に、気高く力強く生きるママを演じたが、私生活でも“母”として充実一途。小松みゆきのTHE CHANGE、激動の半生を激白です!【第2回/全2回】

小松みゆき

ーー最初のお仕事は『週刊プレイボーイ』の水着グラビアでした。その翌年にはヌードになられましたが、恥ずかしさは?

「元々、俳優をやりたくて、映画やドラマでヌードがあれば当然というか必然的にやるわけですし。だから、抵抗感はなかったですね。それより、『プレイボーイ』のグラビアで、初めてこの仕事をしていることを知った両親のほうが、驚いたんじゃないかな(笑)」

ーーその後、俳優として多くの作品に出演されましたが、お色気シーンもあった『くノ一忍法帖』が印象的です。91年の作品ですが、当時はビデオ映画の全盛期でしたね。

「あれは太秦にある京都の撮影所で撮ったんですが、あそこのスタッフの方々は、事前の噂ではとても厳しいと聞いていましたが、真剣に向き合えばとても優しく受け入れてくださいました。
 ただ、この時代はまだフィルムで撮影していたこともあって、失敗すればフィルムが使えない恐怖心の方が強かったですね」

ーーそんな小松さんにとってターニングポイントとなった作品は?

「それは、ドラマ『大奥』(2003年、フジテレビ系)でしょうね」

ーー『大奥』の現場でも鍛えられたんですか。

「そうですね。ビデオ映画と違って、一度の撮影でカメラが3、4台同時に回すことがあって。立ち位置による見え方の違いや、台詞での呼吸の出し入れとか、すごく鍛えられました」

ーー『大奥』が始まった頃に、プライベートでは一生一人で過ごすつもりでマンションを購入されたそうで。

「そうでしたね」

ーーその頃は、後に旦那さんになられる方とは? 

「付き合い始めた頃でしたね。私が31歳ぐらいで彼は8歳下。それぐらいの年の人ってまだ結婚したくないじゃないですか。私もそうでしたし。だから、これはもう一人で生きていく覚悟をしようと(笑)。今はそういう女性も珍しくないでしょうけど」

ーー時代を先駆けていますね。でも、俳優さんって会社員と違って収入が安定していないから、ローンを組みづらいと聞きますが……。

「当時は父が現役で働いていたこともあって、親子ローンを組んだんです。でも、親は一部の権利を持つだけで、支払いは自分ですべてしていました」

ーーその後、小松さんは38歳でご結婚されました。

「正直、してもしなくても、どっちでも良いかなって思っていました。半同棲状態が長く続いていたので、結婚したところで変わらないかなって。自分がバリバリ働けてさえいれば、万が一、向こうの浮気とかがあっても、別れられるじゃないですか(笑)。でも、結果的に結婚という形になったのは、嬉しかったです」