本能として、子供を残したいという思いがあった
ーーそして49歳のときに不妊治療を経て、お子さんに恵まれました。高齢で精神的にも経済的にもすごく大変だったと思います。
「やっぱり本能として、子供を残したいという思いがあったんじゃないでしょうか。不妊治療を始めたのは42歳で、そのときは、お医者さんにも“遅過ぎだ”って言われたんです。無知だったと痛感しました。そこで、これは真面目に取り組んでみようと思ったのが始まりだったんです」
ーーでも、不妊治療を行っても確実に授かるという保証はないと聞きます。
そうなんです! だから何度も何度もうまくいかなくて……。でも、いろいろ調べていたら、受精卵をひとつひとつ検査して、正常な染色体を持つものを体に戻すという方法が海外ではあるというのを知って。その着床前診断というものを受けました。今では日本でもよく知られるようになって、良かったです。
ーーここでも先駆けだったと! お子さんが生まれて一番変わったことは?
忙しくて寝られません(笑)。今日も3時間ぐらいしか眠れていません! でも、なんとか大丈夫。死にはしません。老けますけどね(笑)。
ーーやはり“母は強し”ですね(笑)。
でも、待ちに待った子育てなので楽しいです。子供に費やす時間が増えて、その分自分の時間はなくなって、美容院にもあまり行けなくなりました。ほら、今日もマニキュアを塗る時間がなかったくらい(笑)。
ーーきれいな指です! お仕事に子育てにお忙しい今ですが、最後に今後の目標をお聞かせてください。
今は子供優先ですが、好きなお芝居は続けたいし、私が体験した不妊についてさまざまな機会に伝えられればなとも思っています。
ーーグラビアの復帰を望んでいるのですが……。
ありがとうございます(笑)。そういえば、宮崎美子さんがデビュー40周年でビキニ姿を披露して注目されてましたよね。あの心意気はすごいなあと思ったんです。私も節目の年とかに何かきっかけがあれば……。お芝居ではおばあちゃん役を演るけど、グラビアでは水着や下着で魅せられたら面白いかなって思っています(笑)。
小松みゆき(こまつ・みゆき)
1971年6月5日、福島県生まれ。B型。T156-B84W60H86。1990年に「小松美幸」としてグラビアデビュー。翌年にはヌードも披露し、グラビアモデルとしてトップの人気を得る。92年に公開された映画『福本耕平、かく走りき』での準主役を皮切りに、以降、本格的に俳優として活動している。主な出演作に『デスノート』『いつもより素敵な夜に』『大奥』などの映画やNHK大河『元禄繚乱』『大奥』『闇の歯車』などのドラマがある。