小説教室を経てプロへ。目標を見据えて行動!

 大手事務所に勤務し1年ほど経ったころ、体調を崩した。知らぬ間に心身の疲労が限界に達していたのだ。その原因のひとつに、激務があったという。

「同時に、私はずっと小説家になりたくて、小説教室に入っていたんですが、仕事が忙しくて通えず、幽霊部員になっていました。だからそのあと半年ほどで法律事務所を辞め、時間的拘束の少ない職場に転職しました。“自分はもともと、小説家になりたかったんだ”という目標を、あらためて見据えたんです」

 転職後、無事に小説教室通いを再開した。通っていたのは、憧れの宮部みゆきを輩出した教室「講談社フェーマススクール・エンタテイメント小説作法教室」の後身「山村正夫記念小説講座」だった。

「宮部さんを育てたスクールなら間違いないだろうと思って入りました」