高校時代に甘いマスクでアイドル的な人気を博し、“大ちゃんフィーバー”を巻き起こした荒木大輔。小学6年生の時に調布リトルでリトルリーグ世界一に輝き、早稲田実業高校に進学後は1年生の夏に準優勝するなど、甲子園に5季連続で出場。83年のドラフト1位でヤクルトに入団し、86年、87年には開幕投手も務めたが、88年から3度にわたって右肘を手術するなどケガに苦しみ、96年に引退した。甲子園のヒーロー荒木大輔のTHE CHANGEに迫る。【第1回/全2回】

荒木大輔 撮影/小川伸晃

 つくづく僕は幸せな野球人生が送れたと思っているんですよ。僕といえば甲子園というイメージが強いと思うんですが、それも運が良かったんです。

 大会前のバント練習中に2年生エースがケガをしてしまったんです。バッティングマシンのボールが当たってしまったんですね。

 そんなアクシデントもあって早稲田実業1年生で背番号16番で甲子園のマウンドに立つことになりました。まさか1年生だった僕が試合で投げられるとは思ってもいなかったですね。

 なんなら当時のポジションはサードでしたから(笑)。

 甲子園の序盤、宿舎で僕らを見送ってくれたのは、女将さんを含めて5〜6人でした。しかし、試合に勝って帰って来たときは、バスが宿舎にとめられないくらいの人だかり。これが“大ちゃんフィーバー”のはじまりでした。そこから僕の人生は大きく変わることになります。