とにかく甲子園で野球を楽しめた

 一方で、周囲の環境が変わっても、同級生たちは、何も変わらず接してくれました。これは嬉しかった。僕は幸いにして、周りにいる人間に支えてもらえました。

 例えば、あまりの注目から、僕は宿舎から外出ができるような環境でなくなってしまいます。他のメンバーは、自分たちが外出して、僕だけが残ることになるのはかわいそうだと、一緒に外出することを我慢をしてくれました。しかも、“気を遣っている”という空気も出さずに、あくまで自然に、気を遣ってくれたんですね。

 今から考えれば、高校生なんて、まだまだ幼いところもあると思うので、足を引っ張ったりなんてこともあってよさそうですが、そんなことは本当になかったです。思い返せば、早実のメンバーはちょっと大人っぽかったのかな(笑)。

 そんな仲間の気遣いもあってか、甲子園で勝ち上がっていく中で、実はプレッシャーはなかったです。

「この試合はどうしても勝たなければいけない」「絶対にここで負けるわけにはいかない」という感覚もなかったですね。

 僕らは甲子園常連の強豪校とは考え方がちょっと違ったのかもしれない。とにかく甲子園で野球を楽しめた。むしろ、僕がマウンドにいることで、対戦相手のほうが「あんな1年生に負けるわけにはいけない」と、プレッシャーを感じていたんじゃないですかね。

 早実は他の強豪校に比べれば、練習時間がナイター設備の関係などから、非常に短かった。そんな中で効率的な練習を心掛けるチーム。一方、横浜高校は真逆の環境で、たくさん練習をする学校と聞いていました。結局、僕は高校1年のときは決勝まで勝ち進みましたが、相手はその横浜高校でした。横浜高校のエースは愛甲猛さん。愛甲さんは1年生から甲子園に出場しているスーパースターでしたので、もちろん知っていました。そんな愛甲さんと甲子園の決勝で投げ合うとは夢にも思いませんでした。

 結局、決勝では横浜高校に負けてしまうわけですが、愛甲さんたちの横浜高校のナインからは「絶対に負けない」という強い気持ちを感じました。

 僕が今の球児たちに伝えたいのは、「絶対に勝たなくちゃいけない」と窮屈になってはいけないということです。甲子園で1つでも多く勝ちたいという気持ちを持つのは当然だと思いますが、大切なのは仲間と多くの試合をやれること。

 もちろん、甲子園ともなれば緊張してしまうと思いますが、仲間と野球ができることが楽しいという感覚は必ず持っていてほしいですね。みんな野球が好きで野球部に入っているんだから。

 苦しい場面になっても、こんな場面だけど、こんなすてきな仲間と野球ができるんだと喜びを感じてほしい。プロ野球ではなく、高校野球ですから。

(つづく)

荒木大輔(あらき・だいすけ)
1964年5月6日生まれ。東京都出身。83年ドラフト1位で、早稲田実業高校からヤクルトに入団。高校時代には甲子園に5季連続で出場し、甘いマスクで“大ちゃんフィーバー”を巻き起こした。西武、ヤクルトでコーチ、日ハムで二軍監督を務めた後、現在は城西国際大学硬式野球部で指導を行っている。