80年代に全日本女子プロレスから誕生したクラッシュギャルズ。その活躍はリングのみならず、歌手デビューを始めドラマやバラエティ番組にも出演し、10代の少女たちを熱狂させた。その一翼を担っていたのが元プロレスラーのライオネス飛鳥さん。
 Netflixで配信されたドラマ『極悪女王』では、ダンプ松本さんを中心に、ライオネス飛鳥さん、長与千種さんがクラッシュギャルズを結成し成長していく姿を描いている。また再び脚光を浴びえている女子プロレスだが、その渦中の人物だったといえるライオネス飛鳥さんにとっての人生のCHANGEは?【第4回/全4回】

ライオネス飛鳥 撮影/有坂政晴

 全女の全盛期は、女子プロレスラーは25歳定年説が暗黙の了解として言われていた。飛鳥さんも、1989年に現役を引退。

 その後は、プロレスの解説者やタレント活動と並行し、日本自動車連盟の国際A級ライセンスを取得し、カーレースにも出場していた。しかし、1994年に再び、レスラーとして復帰した。

「最初の引退は26歳。いま思うと、ぜんぜん若いですよ! 結局、プロレスには31歳で復帰しました。当時は26歳だと、もうベテランに差し掛かっていましたけど、いまは30代、40代の選手もいますし、ジャガーさん(ジャガー横田選手)は60代でも現役ですからね」

──31歳でレスラーに復帰したときは、クラッシュギャルズ時代と比べて違いがありましたか?

「復帰後は、ヒールになりました。悪役になったときにも、またプロレスのエンターテインメント性を学び直しました。
 思い返すと、一度目の苦悶(くもん)は、会社から“おまえは強いけれど、面白くない”と言われたこと。二度目は、クラッシュギャルズになって売れたときに、プロレスの練習が満足にできなかったこと。ドラマに出るような芸能活動もあったので、忙しかった。毎回、毎回、試合相手がダンプちゃんだったのもつらかった。自分の中で、もっとレベルアップしたいという気持ちがあるのに、それがうまくいかずに悩みました」