1995年に『夢見る少女じゃいられない』で鮮烈なデビューを果たし、ボーカリストとして走り続けている相川七瀬。その一方で、3人の子どもたちを育てながら、45歳で國學院大學神道文化学部に入学。現在は同大学院生として民俗学の研究にいそしんでいる。パワフルに人生を突っ走る、相川七瀬のTHE CHANGEとは──。【第4回/全4回】
ロックを歌う“幹線道路”と、魂を歌う“もうひとつの道”を力強く走り続けるシンガー、相川七瀬。
ライフワークとなっている古代米“赤米”の継承活動、大学院生としての研究、そして、3人の子どもたちの母親。
精力的に動き続けるために心がけていることは……。
「面倒くさがらないことですかね。 私はもともと、すぐに面倒くさくなるたちなので、できるだけ“面倒くさいなぁ”と思う前に行動を起こすようにしています。後回しにすると、やりたくなくなってしまうし、面倒くさがるということは、自分の未来を放棄することだと思うようにしています」
なんとも耳の痛い言葉だが、確かにその通りである。
「でもこれは、まもなく50歳を迎えるから言えることで、20年前は、そんなこともわからなかったと思います。“面倒くさい”で流していても、若さだけで乗り越えていけていた部分があるから。でも、40歳になったときに、人生の折り返し地点にいる自分に気づいて、いま、自分の人生を精一杯生きたいなと気づいたんです」
それでも、疲れて帰宅したとき、1本のメールを書くのが面倒くさくてたまらないときもある。
「そんなときは自分で叱咤激励します。“わたしは、メールを1本書くのも、時間がないほど忙しいんですか?”って。だって、その1本のメールが未来の私につながるじゃないですか。そのアクションを起こさないと、絶対にリアクションはない。それは、自分の未来を放棄することだからと常に自分に言い聞かせています。」