映画字幕翻訳者の戸田奈津子さん。昭和・平成・令和を「字幕」と「通訳」の“二刀流”で映画界を牽引してきた。しかし86歳となった昨年、「通訳」引退を発表。ちょうど大ヒット映画『トップガン マーヴェリック』日本公開の直前、主演のトム・クルーズ来日のタイミングだったこともあり、大きなニュースとなった。とはいえ、“本業”の「字幕翻訳」はまだまだ現役、今夏公開の『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング』の字幕も手掛けている。
「後悔はありません。映画が好きだから」という某転職サイトのCMでの言葉通り、生涯を大好きな映画に捧げた女性、その人生が変わった「THE CHANGE」とはーー。7

戸田奈津子 撮影/THECHANGE編集部 

 戸田さんは、1936年生まれ。7月3日に誕生日を迎え、87歳になった。昭和、平成、令和を大好きな映画とともに歩んできた。幼少期に戦争を体験した彼女は、いかにして映画と出合い、そして英語を学ぶようになったのか、その転機となった出来事についてお話をうかがった。

「自宅のあった世田谷から文京区にあるお茶の水女子大付属小学校まで電車で通っていました。頭の上をB29が飛び交って爆弾を落としているのだから、いま思えばとんでもなく恐ろしいことでした。サイレンが鳴ると、電車が止まって、みんな近くの防空壕に避難しました。防空頭巾を被って。何の役にも立たないのに(笑)。警報が解かれると、何事もなかったかような顔をして学校に通っていました」

戦争中は英語は一切禁止!初めて接した生の英語は「Give me chocolate!」

 1歳の時に父親を戦争で亡くし、ずっと母娘2人で生きてきた。まだシングルマザーという言葉もない時代だ。1945年の東京大空襲の後に愛媛県に疎開したが、終戦後は東京に戻り、空襲で家を失った大勢の親戚たちと、ひとつ屋根の下で暮らしたそうだ。

「叔父や叔母、そしていとこたちと一緒の暮らしは、子どもにとっては楽しいものでした。私は一人っ子ですが、いまでもいとこたちとは兄弟姉妹のように仲が良くて、行き来しています。戦後のあの雑居生活がなければ、こんな風にはなっていないでしょう」

 意外にも、戦後混乱期の暮らしが楽しかったと語る戸田さん。一緒に暮らしていた叔父や叔母が聞かせてくれた映画の話に心を躍らせ、そんな状況下で観た華やかな外国映画に言い尽くせないほどのカルチャーショックを受けたという。

「戦争中はもちろん敵は〈鬼畜〉ですから、英語は一切禁止です。接する機会はまったくありませんでした。戦争に負けて連合軍が入ってきたとたんに、手のひらを返したように日本はアメリカ一色になり、アメリカ兵を見れば「ギミ・チョコレート」とか言って戦争孤児たちがむらがっていました。私が初めて耳にした生の英語はそれかもしれません(笑)」