NHK『レッツゴーヤング』の司会に抜擢
ヒット後、1979年には、NHKのアイドル番組『レッツゴーヤング』の司会に抜擢される。
「『レッツゴーヤング』に出るようになって2年目に入った頃、ピンク・レディーと狩人が司会になったんです。それが悔しくて悔しくて。番組から生まれた『あずさ2号』の大ヒットの流れに乗って狩人の2人が司会になって、ピンク・レディーと都倉先生と、5人で進行する形式になったんですけど、僕のほうがうまくできるのに…って思ってました(笑)。
その席を奪いたいなっていうのはありましたから、その日の台本をもらって、ちょっとした喋るコーナーをもらうと、そこをなんとか面白くできないかな、というのを考えて、司会者5人より、何か面白いことを言えるようにというのをいろいろ事前に考えてました。そのうち、5人も司会がいるのに、そこに僕がちょっと加わるようになってきたんです。“よしっ!”と(笑)。
少し手応えを感じてるときに、“夏に、アイドルを集めた特番をやるから司会をやってみないか?”ってプロデューサー言われたんです。それは完全にテストだったんですよね。その番組で司会をやらせてもらって、プロデューサーの眼鏡にかなったんでしょう。それで翌年に『レッツゴーヤング』の司会をさせてもらうことになりました。僕としては勝ち取ったぞ、という思いはありましたね」
時代はアイドル全盛の1980年代に突入。松田聖子さんや中森明菜さん。たのきんトリオ(田原俊彦さん、近藤真彦さん、野村義男さん)は、毎週のように登場した。
時代としては狭間だったんですよね。新御三家(西城秀樹さん、野口五郎さん、郷ひろみさん)の次の時代は、僕と(川崎)麻世と渋谷哲平だと言われてたんですけど、あっという間にたのきんが出てきて追い越されちゃって(笑)。結局思ったのは、みんなちゃんとなりきれる人たちなんです。そういう人がトップに登りつめていく。僕はそこまでやり切れなかったなと思います。
『レッツゴーヤング』では7年間にわたりMCを担当した。
「『レッツゴーヤング』は収録なんですけど、生放送と同じように完パケで撮ってましたから、例えば今30秒押してる、っていうと、僕がディレクターにここのMCをカットするからって伝える、みたいな作業を全部自分でやって時間内に収めてました。そういう意味では、いろいろ学ばせてもらった現場だったなと思いますね。とにかく、NHKホールって覆いかぶさってくるような迫力があるんですよ。だから初出演の時はがちがちで何をどうやったか全然覚えてない。でも、司会をやりだしたら、自分の手の内に収まる感じになる。だからその後、どんな大きなところに行ってももう怖くないっていうのはありましたね」
アイドルとして、司会者として、そして舞台との出会いで、役者というもう一つの軸も得て着実な活動を続けていた太川さん。しかしそこに思いもよらぬ「CHANGE」が訪れる。2007年、今も続く『バス旅』との出会いだった。
(つづく)
太川陽介(たがわ・ようすけ)
1959年1月13日、京都府生まれ。A型。T171㎝。1976年「陽だまりの中で」でレコードデビュー。翌1977年、3曲目の「Lui-Lui」が大ヒット、同年暮れの第19回日本レコード大賞を初め、各音楽大賞の新人賞を獲得。1978年よりNHK総合「レッツゴーヤング」の司会を務める。その後、主に舞台を中心に俳優、タレント、ラジオパーソナリティなど活動の場を広げ、2007年10月にスタートした『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(通称「バス旅」)ではリーダーとして一行の取りまとめ役を担い、人気を博す。現在では2024年に始めた自身のYouTubeでもバス旅企画を行っている。
【作品情報】
トム・プロジェクト30周年記念公演 第三弾
『おばぁとラッパのサンマ裁判』
【作】古川健 【演 出】日澤雄介
【出 演】 柴田理恵 太川陽介 鳥山昌克 森川由樹 大和田獏
2025年2月3日(月)~2月9日(日) 紀伊国屋ホール
https://www.tomproject.com/peformance/sanma.html
主催:トム・プロジェクト
【協力】
ワハハ本舗 サンミュージック 劇団チョコレートケーキ
シアター・ブレーン catSSound アトリエ藍 マハロ 高津装飾美術