ミスマッチともいえる組み合わせが名コンビに!

 人気番組になった鍵を太川さん自身、どう分析されているのだろう。

「第1回こそ目的地に到着した“成功”になりましたけど、番組2回目はゴールできず“失敗”だったんです。それまでのテレビって、必ず何かしらの方法で最後達成してエンディング、という形を作ってたじゃないですか。それをあっさり“駄目でした~”で終わるという。僕自身も辻褄合わせするものでしょ?って思ってたところがあったので、そのまま放っぽらかして、終わりって大丈夫なの?って思いました。
 でも、そのガチ感が見てる人にインパクトを与えましたし、それ以上に業界がざわついたんですよね。なんかすごいことやってるぞ、と(笑)。そして、回を重ねるうちに話題になったのが、蛭子(能収)さんですよね。完全にマイペースでああいう感じだから全く番組のセオリーが通じない(笑)」

 “リーダー”としてしっかり進行したい太川さんと、疲れたら休みたい、というマイペースの蛭子さん。このミスマッチともいえる組み合わせは名コンビとなった。

「いや、本当に大嫌いでしたよ(笑)。もう最初の頃は顔を見るとムカムカしてましたからね。エピソードはいろいろありすぎるんですけど、立ち寄った料理屋さんで、店の人に聞こえるように“エビが小さい”と言っちゃって、お店の方は、“もう撮影させない。帰ってくれ”って激怒されたとか(笑)。思ったことが口に出ちゃう人なので、そういうのはしょっちゅうでしたね。
 もともと、この番組のキャスティングは僕が最初に決まったらしいんです。それまでテレビ東京の結構過酷な旅を一人でやってたんですけど、それをプロデューサーが“あんな大変そうな旅なのに、楽しそうにやってるから、今度の企画も太川さんだったら楽しくやってくれるんじゃないか”ということで。それで、もう一人を誰にしようとなって…どういう経緯で蛭子さんに決まったんでしょうかね。なんとなく決まったのかな(笑)。その辺はわからないですけど、練りに練って決まったという感じではなかったと思います(笑)」