俳優・市村正親さん(75)は、戦後、舞台俳優として自ら劇団青俳を立ち上げ精力的に活動した俳優の西村晃氏の付き人を経て、73年に劇団四季の『イエス・キリスト=スーパースター』で俳優デビュー。以降、同劇団の看板俳優として『オペラ座の怪人』など数多くの舞台で主演を務め、退団以降もミュージカル『ミス・サイゴン』や、一人芝居『市村座』、ストレートプレイ『炎の人』などで活躍し、多数の演劇賞を受賞している。その圧倒的な存在感と歌声、確かな演技力で多くの舞台ファンから支持を得ている市村さんにとって大きな変化、「THE CHANGE」は何だったのだろうか?【第4回/全4回】

市村正親 撮影/三浦龍司

2023年に役者生活50周年を迎え、デビューからずっと舞台に立ち続け、常に第一線で活躍している市村正親さん。そんな市村さんにとって、これまでで一番の「CHANGE」とは?

――市村さんにとって人生で一番の「CHANGE(変化・転機)」はどんなことですか?

「一番大きなチェンジだったのは、劇団四季(以下:四季)からフリーになったことですね。劇団という組織に17年いて、そこを去った後はその時に『ミス・サイゴン』のオーディションを受けたんです。

 僕は四季に入る時もオーディションだったし、四季をやめてフリーになってからもオーディションの連続でした。振り返ってみると、僕のチェンジは全てオーディションでチェンジしていたかなと思います」

――元々、劇団という組織から出てフリーになろうというお気持ちはあったのですか?

「当初は劇団に骨を埋めるつもりでした。ところが、劇団が劇団ではなくなり、組織になった。きっと次の仕事はないなと思ったこともあり、それで41歳で退団を決めました」