両親の全面的な支えがあっての初優勝
平成30年は、初場所から平幕・栃ノ心が優勝。名古屋場所でも関脇・御嶽海が優勝するなど、長らく続いていた白鵬一強時代が終焉に向かっていた。この九州場所もまた、千秋楽結びの一番まで手に汗を握る展開に、相撲ファンは沸き返った。
「(子どもの頃から)父親と二人三脚でやってきたことが、“少し”結果になってよかったです」
この時、貴景勝がこう語ったように、この優勝は、父(一哉さん)、母(純子さん)の全面的なバックアップがあってのもの。「少し」と表現したのは、彼ならではのテレがあったからなのだろう。
兵庫県芦屋市から駆け付けた両親は、1人息子の初優勝を福岡国際センターで見守り、母はうれし涙を流した。

振り返れば、秋場所後は、師匠・貴乃花親方の退職を受けて、所属部屋が千賀ノ浦部屋に変わるという大きな転機があった。
九州場所に臨むにあたっては、「稽古はよくできた。1日1番に集中して取り切る」と発言していた貴景勝。周囲からの雑音は、想像を超えるものがあったことだろう。こうした逆境を乗り越えての初優勝だった。
九州場所後の冬巡業が終わって帰京した12月17日、貴景勝は母校・埼玉栄高に凱旋した。
最寄り駅から母校までのパレードの後は、母校の後輩たち3000人を前に、優勝を報告。貴景勝をスカウトした相撲部の山田道紀監督も、笑顔を爆発させて教え子の優勝を祝福した。
翌19年初場所、新関脇に昇進した貴景勝は、11勝4敗で初の技能賞を獲得。相撲協会が定めるところの大関昇進基準は、3場所で33勝以上となっていて、3月の春場所で9勝以上の成績を残せば、「大関・貴景勝」の誕生が確実視される。
一気に「大関候補ナンバーワン」に躍り出た貴景勝は、5日目まで3勝2敗の成績だったものの、10日目、横綱・鶴竜を破って勝ち越し決める。そして、13日目に九州場所で苦杯を舐めた高安、千秋楽には栃ノ心を下し、10勝5敗。
3場所で34勝を挙げた貴景勝は、場所後、大関昇進が決定した。
「謹んでお受けいたします。大関の名に恥じぬよう、武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず、相撲道に精進してまいります」
伝達式で、こう口上を述べた貴景勝。
ここに晴れて、22歳の新大関が誕生した。
(つづく)
貴景勝 貴信(たかけいしょう・たかのぶ)
1996年8月5日生まれ、兵庫県芦屋市出身。 貴乃花部屋より2014年9月場所にて初土俵を踏み、2019年3月場所終了後に大関に昇進。 2024年9月場所をもって引退するまで幕内最高優勝4回などの成績を残した。引退後は年寄・湊川を襲名し常盤山部屋の部屋付き親方になった。