1985年、演劇ユニット『売名行為』を結成し、以降関西小劇場ブームに乗って東京での仕事も増えてきたと語る俳優の升毅さん。自身に“10年転機”があると語る彼の「THE CHANGE」とはーー。【第2回/全2回】

升毅 撮影/宮本賢一

 思えば僕には、“10年転機”があるようです。10年ごとに、何かしらの転機が訪れるというものです。

 30歳のとき、劇団を辞めて立ち上げたのが、劇団『売名行為』。同じ関西で活動していた気の合う仲間と、放送局や制作プロダクションに、自分たちを売り込んでいこうと始めた劇団です。ちょうど、バブル期と各大学の演劇部が巻き起こした“関西小劇場ブーム”が重なって、盛り上がっていた頃でした。「面白いことが好き」「人を笑わせたい」という気持ちもあって、活動3年目にはコント集団みたいになっていましたね(笑)。

 関西の小劇場ならではですが、横のつながりが強かったんです。生瀬勝久さんの劇団の舞台に僕が出たり、自分が主催する舞台には古田新太さんに出てもらったり。“ウチはウチ主義”の東京の劇団じゃ、こうはいかなかったでしょう。東京公演では、関西よりも、ウケが良いことが多かったんです。当時の東京は堅苦しい芸風だったので、関西のとにかく笑わせるお芝居が、魅力的に映ったんだと思います。

 東京公演をするようになってから、自然と東京での仕事も増えていきました。ちょうど、『売名行為』を立ち上げて10年後の40歳のときです。

 10年転機はその後も続き、50歳のときには、村川絵梨さん演じるヒロインの伯父役として、NHK連続テレビ小説『風のハルカ』にレギュラー出演。60歳のときには、私の芝居に大きな影響を与えてくれた佐々部清監督との出会いがありました。

 佐々部監督の撮る映画『群青色の、とおり道』に出演したときの話です。芝居をするたび、監督から「升さん、やりすぎです。もっと抑えて」と言われ続けたんです。当時の僕は、「本当にそんな人いるの?」ってくらいの極端な役が多かったので、意識的に振り切った芝居をしていました。