1979年に『機動戦士ガンダム』で、ロボットアニメの世界にリアリティを取り入れる新しいジャンルを生み出した富野由悠季監督。82歳にして、今なおアニメの最前線で挑み続ける富野監督のクリエイティビティの源はどこにあるのか。東京・杉並のバンダイナムコフィルムワークスの社屋「ホワイトベース」の会議室で富野監督の「THE CHANGE」について聞いた。

富野由悠季 撮影/冨田望 

【インタビュー第2回/全5回】

  日本大学芸術学部映画学科を卒業し、富野監督は1964年に手塚治虫のアニメ制作会社「虫プロダクション」に入社。そこで大きな衝撃を受けたという。

「虫プロの一番年上の社員がぼくより1つ年上なだけなの。大学のときの1年先輩が録音部や撮影部にいたり、すでに演出をやっている人もいて、それが最年長。そのほかにアニメーターとか彩色をやってくれるお姉さんもいたんだけど、東映動画から流れて来たそのほとんどが年下の人たちだった。
 中には中学を卒業してすぐアニメーターになったような、それでも原画としてすでに2、3年キャリアがあるアニメーターとしてトップクラスの人たちがいたわけ」

 日本初となる毎週放送の1話30分のテレビアニメ『鉄腕アトム』は、富野監督にとって「全員年下、全員大先輩」によって作られていた。富野監督は、自分よりも年下の人が活躍する当時の虫プロの空気感に、初日から圧倒されたという。

「すでに『鉄腕アトム』は2年目に入っていたんだけど、彼らは週に1本30分の番組を作るということをやり続けているわけ。そこでぼくは制作進行という仕事を与えられた。カット袋を渡されて、アニメーターの原画マンから上がったものを動画の担当にもっていく、動画が上がったものを彩色のお姉さんのもとに持っていってセルにしてもらう。それをそろえて上げてもらった背景と、タイムシートを全部つけ合わせをして、抜け落ちがないか確認したら撮影部に渡す……。とにかく、ひたすら走り回らなければならないという毎日だったんです。

 週ペースでアニメを作るというのはどういうことかと言うと、労働時間がどうのなんていうのは関係ない。能力があるなし、それも関係ない。とにかく“やれ!”という現場でした」