■勝手に切った絵コンテが採用された日
1日でも早く演出になりたいと考えた富野監督は、多忙な毎日の中で、誰に言われるでもなく自ら『鉄腕アトム』のオリジナルの絵コンテを描き始める。
「入社3か月目から勝手にコンテを切り始めたんです。そんなこと誰もやったことはなくて、ぼくだけ。でも、それでちょうど1パートだけコンテが切れたタイミングで、どうやら1か月半か2か月先の放送に穴が空きそうだ、っていう話が聞こえてきたわけ。
これはいいタイミングなんで、自分の描いたコンテは12、3分の、まだ前半分しかなかったんだけど、それを制作部に見てもらったの。そしたら、それが手塚先生にも見てもらえるという話になって、その2日後か3日後かに“トミノくん”って先生に呼ばれて、“後半の話はどうなってるの?”って興味を持ってもらえたんです」
「これは自慢話なのよ」と笑顔を見せる富野監督。後半パートについてのプランはなかったのだが、手塚治虫を目の前したその場で「これこれ、こんな話になると思います、はい」とエピソードを考えて説明。結果的にそのアイデアが採用されることになった。
「行き当たりばったりの嘘八百。ただ今回のことで思い出したことがあって、ぼくはコンテの段階では、ゲストキャラクターのロボットの名前を『ヒュー』と名づけていたんだけど、それを見た手塚先生が“ヒューチャーのヒューだよね?”と言うんです。
それで、“だったらサブタイトルは『ロボット・ヒューチャー』に決まり、これで作画の打ち合わせに進んでください”と、先生の許可が降りたんです」