■手塚治虫に「演出部に来てくれます?」と頼まれた日

 富野監督が新田修介の名義で演出デビューをかざった1964年11月放送『鉄腕アトム』第96話「ロボット・ヒューチャーの巻」は、まさにのような現場の中で生まれた。誰に見られるという確信もなく、ただ独自に絵コンテを描き、それがたまたま手塚治虫の目に止まった。

「でも、ちょっと待て、後半のコンテがないぞ……と。作画の調整をするのにおそらく2、3週間かかったと思うんだけど、その間に後半のコンテを切って、手塚先生のオーケーももらって、作画打ち合わせをやって、そうして作ったのが『ロボット・ヒューチャーの巻』でした。 

 すごい話に聞こえるんだけど、これはすごくもなんともありません。先ほども言った通り、制作現場はものすごく逼迫してるわけ。作品の質なんて問われる暇もなくて、コンテらしいものがあれば絶対通ると思っていた。
 宇宙ものであれば自信はあるし、ぼく程度の絵でも、らしく描けていれば一応アニメーターに通用するコンテになるだろう、という打算もあったんです。

 一番重要なのが、やっぱりいつまでも制作進行をやっていられないという気持ちがあったことで、“1日でも早く演出にならなくてはいけない”と常に思っていた。それで無事に作画が進んで、手塚先生とフジテレビにいざ納品に行った帰りに、ちょっとお茶でも飲もうと誘われたんです。そのときに先生に逆に頼まれたのが “演出部にきてくれます?”ってことで、ぼくはもっともらしい顔で“はい”って答えました」

 その後、富野監督は演出家としてフリーとなり、あらゆるスタジオでコンテを切る「さすらいのコンテマン」として名を馳せるようになる。日本を代表するアニメ監督として『機動戦士ガンダム』を生み出した富野監督にとって、間違いなく「人生が変わった日」だろう。

■プロフィール
とみの・よしゆき
1941年、神奈川県小田原生まれ。アニメーション映画監督・小説家。日本大学芸術学部映画学科卒。64年、虫プロダクションに入社。『鉄腕アトム』の脚本・演出を手がける。その後フリーに。79年に『機動戦士ガンダム』、80年に『伝説巨神イデオン』ほかの原作・総監督として作品を生み出している。2014年に『∀ガンダム』以来14年ぶりとなる新シリーズ『ガンダム Gのレコンギスタ』をスタート。2019年から2022年にテレビシリーズを再構成した映画5部作劇場版『Gのレコンギスタ』を公開。斧谷稔名義で絵コンテ、井荻麟の名義では作詞を手がける。