全く溶け込めなかったアルゼンチンでの学校生活

 12歳、中学1年生の時に今度は父親の仕事の関係でアルゼンチンのブエノスアイレスに行くことになった。この時、(当然ながら)言葉の壁にぶつかった。

「AからZまで、まともに書けなかったんです(笑)。26文字の順番もわからなかったくらい。行く前に勉強しようとかもなかったです。行ったらなんとかなるだろうって(笑)」

 しかし、現実としては何とかならなかった。

「元々、自分の意志で行ったわけではなかったので、やはり学ぶ気もなかったという感じですね。現地の学校に通っていたんですが、日本人は姉も含めて3人。全く溶け込めず、通うのは精神的にもヘビーでした。だから、よくサボっていましたね。私がフレンドリーにいけば受け入れてもらえたと思うんですけど、そこでシャイを発動してしまって。ウワ~って来られると、言葉がわからないということもあって、ちょっと怖いなと、あまり積極的にいけなかったんです。なので、向こうからしてみたら“まぁ、そういう態度ならそれで良いけど……”という感じではあったと思います」

 そして、このブエノスアイレスに居た時に両親からドラムをプレゼントされた。

「さっきお話しした小4の時にドラマーになるって決めた時から、もう口癖のように“ドラム買って、ドラムやりたい”とずっと言っていたんです。でも、私がバイオリンを惰性でやっていることに両親も気付いていたので、“お前に二度と楽器はやらせない”って言われていました(笑)。それでも、アルゼンチンに行って友達も出来ずにフラフラしていた私を見かねて、買ってくれたんです」