『KOP』の展示の反省点がひとつあって。2000年以降のぼくのイラスト作品は、下描き〜ペン入れまでは手描きですが、着色と仕上げはデジタル、つまり完成形はデータとしてしか存在しないんですよね。リアル原画はあくまでも途中経過のものでしかなく、作品展で展示する時は出力になってしまうんですよ。その出力サイズを他のアナログ時代の生原稿と同じサイズの額装にしてしまった。

 そうして並べるとね、やはり出力は生原稿の迫力に及ばないんですよ。生原稿はB4のサイズでもオーラがありますから。だからアナログ生原稿と出力作品が均一に並んだ『KOP』の展示はやや平坦でおとなしい印象を受けたんですよ。でも逆に考えると出力作品はどんな大きさにでもできるんですよね。サイズにしても展示の仕方にしても自由なんですよ。そこで『彼女』ではめちゃくちゃ大きく引き伸ばした作品も展示することにしました。

 大きく引き伸ばした作品を美術館の空間で見た時、自分の予想した以上の効果に自分自身まんまとハマってしまったんですよね。そこで「展示、会場による見せ方」みたいなものまで考える意識が初めて自分の中に生まれた。

 正直、展示に関しては、『KOP』までは各美術館の学芸員さんにお任せだったんですよ。レイアウトができた時にチェックしてOK出すみたいな感じ。よっぽど違うなと感じた所の微調整はしてもらってましたけど、展示の仕方については自分の仕事ではないと思っていた。

 『彼女』展では本当に搬入から全部自分も関わってるんですよ。作品の並べ方とか、会場によっても全然違ったものになるし。やるたびに展示としてどんどん成長していく。まさか全国8会場まで続くとは思いませんでしたが、特に盛岡は美術館自体も良かったから作品がすごく映えたし、展示もすごく良くて、自分的には完成形だったんです。やり切った感がありました。各会場でサイン会とかライブスケッチとか2~3回はイベントをやるので、もちろん全部の会場に行ったんですけど、どの街も楽しかったですね」

千葉の展覧会では大御所漫画家をゲストに 

 盛岡の後は、千葉で次の『彼女』展の開催がすでに決まっていた。

 「盛岡で自分のやりたかった感じが実現できて、入場者もすごく来てくれて『彼女』展は自分の中ではもう終わった感があったんです。だから千葉会場では余録というかサービスというか、パイレーツの頃のファンにアピールすることを主眼に置いた展示を考えました。千葉パイレーツのお膝元でもあるしね。

 パイレーツ時代の女性の絵の原稿をいっぱい出したり、パイレーツのグッズを作ったり、そしたらまんまと当たりましたね。パイレーツ時代に小学生だった子たち、50代や60代の人でいっぱいだった。結果、それまでの会場とは違い、明らかにオッサン度が高くて、ちょっと面白かったですね」

 千葉の『彼女』展では、本宮ひろ志とのトークショーも行なわれた。なぜ、本宮先生だったのだろうか? 朗らかな笑顔を浮かべながら、その顛末を語ってくれた。

「本宮先生は千葉出身の漫画家の代表格だし、まずジャンプの大先輩です。ぼくの漫画を一番早く評価してくれた漫画家さんでもあるし。本宮さんを呼べば、ぜったい70年代〜80年代にジャンプを読んでた世代が喜んでくれると思ったんです。

 それと、本宮作品でも女性は重要な要素です。魅力的な女性キャラに対しての考えとか、本宮先生から見たぼくの『彼女』についてのご意見も聞いてみたかった。自分で手紙を書いてオファーしましたよ。あんまり人前に出ない人なので、快諾していただいて本当に嬉しかったですね。

 あれは狙いが大当たりでした。そういう企画をするのも楽しいんですよ。本宮さんは良かったな我ながら(笑)。だから『彼女』展に関しては盛岡と千葉でもう気が済んだんですよ。だから今はまあ、そろそろホントに漫画に戻らないとなーという感じがしてますけど、遅いかもですけどね。

 やっぱり、漫画って仕事は大変ですよ。本当、若い時じゃないと多分、まあ年取ってもやっていらっしゃる方もいるけど、そういう人は偉いなと思いますよ」