新喜劇入団後に立ちふさがった壁
そんな珠代さんにとって、これまでの芸人人生で”CHANGE”になった出来事、“CHANGE”を生んだ人との出会いについてうかがうと、新喜劇のレジェンド女優の名前が挙がった。
「この世界に高校2年生からピン芸人で入って、若手が出る(心斎橋筋)2丁目劇場という劇場に出ていたんですけど、そこではハチャメチャな1人コントをやってたんです。正直、芝居の骨組みも構成も何にもない、ただただ、女子高生にウケるように元気にキテレツな動きをするネタ。普通の女子高生ができない恥ずかしいこんなことをワーッとやって笑いを取る、みたいな。
その後、22歳のときに新喜劇に入ることになりまして。そうすると、今までやってた芸風だと、なんばグランド花月ではちっともウケなかったんです。おじいちゃんおばあちゃんからしたら、“この子、急になんやねん”みたいな反応。2丁目劇場ではウケてたのに何にも反応がなくて。どんどんわからなくなってきてたんですよね。
自分で自分がやるべきことが分からなくなる感じに陥ってたときに声をかけてくださったのが浅香あき恵姉さんで、“珠代ちゃん、新喜劇はね、お芝居なの。だから、あなたみたいな子がしっかり、かわいいお芝居をすれば、ツッコミの人が笑いにしてくれるし、それだけで、あなた自身もウケるから”って言ってくださって。“あなたみたいな子が”、“あなたみたいな子が”ってあき恵姉さんどんだけ私のことブサイクやと思ってたんやろ、っていうのはあるんですけど(笑)。
でも、そのアドバイスは大きくて、反応が全く変わりました。それまではいきなり変なことして笑いを取ろうとしてたんですけど、ちゃんとしたお芝居を思い切りかわい子ぶった感じでやると、“気持ち悪いんじゃ!”と言ってツッコんでくれて、ドッカンドッカンをウケる。“あ、こういうことなのか”と。“そういう強弱が大事なんだ”って学びました。フリがあって笑いがあるみたいなことを初めて覚えたんですよね。そのあき恵姉さんの教えが私にとって“CHANGE”になったのは間違いないですね」
浅香あき恵姉さんのアドバイスもあり、吉本新喜劇で押しも押されもせぬコメディエンヌに成長、大活躍をすることになる珠代さん。次々に生まれたギャグには珠代さんの思いが込められていたという。
(つづく)
しまだ・たまよ
1970年5月10日生。大阪府吹田市出身。17歳当時、『4時ですよ~だ!』の出演をきっかけにピン芸人として吉本興業に所属。20歳で吉本新喜劇の座員になり、現在にいたるまで劇場で活躍している。