「野球に関わる仕事がしたい」という夢があった

 そして2004年、18歳の高校3年生の時に高校野球の鳥取大会と秋季中国大会でアナウンスを務めた。

「2年生の時に、放送部の友人から頼まれて助っ人として参加したんです。“野球好きだよね!? ルール詳しいよね!?”と。それがきっかけとなり、2年生の途中から正式に放送部に入りました。ただ、3年の最後の夏の大会のときにちょっと失敗してしまって……その後悔を抱えたまま引退することは嫌だったので、秋も延長させてもらったんです。受験前で大事な秋の模試があったのですが、顧問と担任の先生に直談判して、模試を休んでアナウンスの方に行かせてもらいました」

 「野球と結婚したい。野球まりえになりたい!」と日頃から口にしているが、野球愛はこの時に既に開花していた。そして大学(文学部)に進学する。

「最終的には“野球に関わる仕事がしたい”という夢がありました。でも、野球に関わる仕事について考えた時に、球団職員、栄養士、トレーナー、記者など、色々あり過ぎて絞れないと思ったんです。逆に“大好きな野球と関われなかったとしても、本当にやりたいことは何なのか?”と考えたら、それがアナウンサーでした。だから、大学入学した瞬間にアナウンサー一本に絞り、他の業種は受けないことを決めました」