大学卒業後に放送作家事務所へ入り、その後コント師を経て浪曲師になった玉川太福。近年では落語の定席にも出演し、2025年1月下席の末廣亭での初主任興行は、10日間大入満員という歴史的な興行となった彼のTHE CHANGEとはーー。【第1回/全2回】

玉川太福 撮影/川しまゆうこ

 昔から、私は人を笑わせるのが好きで。最初はコント作家を目指していたんです。それで大学を卒業後に放送作家の事務所に入ったのですが、なかなかコントを書く機会には恵まれず。そのまま続けてチャンスを待つより、すぐにでもコントを書きたいという思いが強くなっていきました。

 そこで高校のラグビー部の同級生を誘いまして、コントを自分たちで始めることにしました。すると今度は、現代口語演劇というジャンルに出合うんですね。演劇の世界にも片足を突っ込むことになったわけです。その頃、ワハハ本舗の立ち上げメンバーだった村松利史さんと、家が近所の縁もあって知り合いまして、落語の小三治師匠を薦められました。

 聞きに行くとたちまちハマりまして、高座を追っかけるようになったんです。そして、次に村松さんがおっしゃったのが、「浪曲の玉川福太郎が面白いよ」と。

 思い返すと、これが私と浪曲の出合いでございます。浪曲の定席・浅草木馬亭に聴きに行くと、すぐに浪曲に魅了されました。そして、自分がこれまで挑戦してきたコントや現代口語演劇などを、浪曲というジャンルに重ねて表現してみたいという構想を持って、福太郎のもとに入門を決意します。これが27歳のときでした。

 そもそも浪曲というのは、落語と講談と並び、三大大衆話芸の1つになります。物語を演じる浪曲師と、三味線で伴奏を行う曲師の2人で芸をやるところが、落語や講談との大きな違いです。啖呵(登場人物の台詞)、節 (歌) などの要素で話が成り立ちますので、ミュージカルやオペラの和製少人数バージョンみたいな感じでしょうか。現在、浪曲師と曲師を合わせて、東西で約100人ほどしかおりません。