『はつ恋』は私の中で珍しい作品
当時のドラマは今日のような1クール(3か月)ではなく、2クール(半年)ものが主流の時代であった。そして、この5年間ではドラマ以外に5本の映画にも出演した。その中でも特に印象的(仁科さん曰く、重要なポイント)だったのは『はつ恋』(75年)。ロシアの文豪・ツルゲーネフの『初恋』を翻案した作品で、夏の別荘地を舞台に少年と彼が恋した年上の女性を描いた物語だ。映画の舞台は70年代の鎌倉に置き換えられている。ここで仁科さんが演じたのは少年・一彦(井上純一)が想いを寄せる女性・るお役だった。
「『はつ恋』は私の中でもとても好き、というか珍しい作品なんです」
──珍しい、と仰るのは?
「デビュー当初、NHKで私に付いたあだ名が“精神的未熟児”だったんです(笑)。ボーイフレンドもいなかったですし、すごく奥手だったんですよ。そういう意味で色んな事が(笑)。中学高校時代 “アコ(仁科さん、因みに本名は章子)は直行直帰だから”って言われるぐらいの下校時に寄り道もしたことないようなコだったんです。そんな私が『はつ恋』では自由奔放で一彦のことも好きだけど彼の父親(二谷英明)とも関係があってという役で、演じたキャラクターとしてもそうでしたし、プライベートでも経験のないことだったので、周囲も盛り立てて下さって、私も頑張ったなって思いますね」

以降は、NHK大河『勝海舟』(74年)、『大都会 闘いの日々』(76年)、そして映画界の巨匠、木下恵介監督の名前を冠にした『木下恵介・人間の歌シリーズ』(72年から76年まで)、『愛よ、いそげ!』(72年)、『バラ色の人生』(74年)、『早春物語』(76年)……など数々のドラマに出演。「『第一期』は幸せなことに充実させてもらった活動期だったと思います」と振り返る。
そして、79年に俳優・松方弘樹さん(故人)との結婚を機に引退した。
「もともと不器用なので、仕事と家庭の両立は難しいと思ったんです。そもそも、子供の頃からの夢だった”お嫁ちゃんになる“という目標も達成できましたから」
──芸能界、俳優という仕事に未練はなかったんですか?
「全然、なかったです。私の中ではキッパリと区切りをつけたと思っていたんですが、芸能界のお仕事って次の年、更にその次の年まで具体的ではないにしても話が進行していたりするので、“あれっ、どういうこと!?”って周りには相当迷惑を掛けてしまいましたね」