大きな転機となった33年前のドキュメント企画

──立ち上げ当初は苦労されたこともあったのでは?

「いいえ。私の周りには賛同する人しかいなかったです。ただ、エンターテイメントというカタチで活動することに対して“単にお祭り騒ぎをして何が啓発だ”という人たちはかなりいました。エンタメというものをふざけていると思っている人が多かった。でも、何かしらの成果を上げたら、変わってきましたね。2017年の『まぜこぜ一座』という座組の旗揚げ公演時には“マイノリティを見世物にしている”という意見もありましたが、“見世物にしています”と答えています。なぜなら、この映画だって見世物だし、私自身も見世物。見世物の何が悪いの? 見世物お好きでしょって思っているので(笑)」

 こうした活動を行うきっかけとなったのは一本のドキュメンタリー番組だった。

「33年前のことですが、自宅で観ていた生放送で17歳の白血病の少年のドキュメンタリー企画をやっていたんです」

 当時、生放送の仕事が多かったという東さんは、そういうドキュメントを見た後にスタジオでどういうコメントをするんだろうと興味深く観ていたという。

「ナレーションも音楽も泣かせるような作りでしたので、私も涙しました。テレビ的にはそれで良いのかもしれません。視聴率が大事なので。ですが、どういうメッセージを伝えるのかということも大事だと考えています。この番組にはそれが欠けていたのが残念だと思いました。少年は多感な時期だったのだし、別の言い方をすれば、そこで17歳の少年がなぜテレビで公にしたのかということが伝わってこなかった。その少年は番組内で泣くでもなく恨みつらみを言うでもなく、ものすごく坦々としていました。それは番組的にドラマチックじゃなかったのかもしれないし、ディレクターは困ったと思います」

 東さんはなぜ少年が番組に出ようと思ったのか、その理由が知りたかった。自分が番組に出ていたらそのことについてコメントしたいと思った。そこには何かしらのメッセージがあるはずだと考えたのだ。番組を見終えた後で少年の為に何かしたいと思い、色々と調べていると、放送のあった1991年は骨髄バンクが出来た年であることが分かった。

「だから少年はテレビに出たんじゃないか。そう思ったんです。そういうことをちゃんと伝えなければという思いがあって、骨髄バンクの啓発活動を始めました。これは本当に人生を変えましたね。同時に、この業界における私のスタンスも変わったと思います」