他人が出した答え、もう定まっていることなんて、考えるには値しない
ーー川原さんの言葉ですごく好きなのが、子どもたちにかけた「大人たちを困らせる質問をしてください」というものでした。
「これまた、炎上するかもしれないですけど、私が大学で教えている時に、答えのない問題について考えるのが苦手そうな学生が少なくないんですよ。答えのある問題を解くことは得意なんだけれども、答えのない問題についてじっくり考えることが苦手なんじゃないかな、という印象がありまして。あ、これ、あくまで私個人の印象ですよ。しかも、私のクラスは大人数クラスなことも多いので、それも関係しているかもしれないです。ともあれ、なかなか授業の中で、答えがない問題に対する議論が活発にならない。
でも、それは現代の学生が悪いのではなくて、他に原因があるとも思っています。というのも、受験勉強って点数を取るゲームじゃないですか。だから、今の大学生たちって、すでに正解があって、その正解の得点をいかに上げるかっていう技術を教え込まれてきた。そういう社会的な構造が問題なんじゃないかなと最近感じていて。
だけど、学問の世界に身を置いてみると、得点を取ることなんてどうでもいいんですよ。他人が出した答えがもう定まっている問いなんて、考えるには値しないんですよね。本当に考えるべきは、答えがあるかどうかもわからない問題です。
その違和感が根底にあって、最近は自分の娘が小学生になって宿題をやっている姿を毎日のように見るわけですよ。その宿題もやっぱり正解を覚えるものが多い。要はマニュアル通りの正解を覚えるような教育がなされているように感じてしまう。
小学生の段階では、仕方ないところもあると思うんです。算数は算数のルールを覚えなきゃいけないし、漢字も漢字のルールがあるから。それはそうなんでしょうけれども、それが学びのすべてだと思ってほしくない。だから、娘には点数にこだわるな、って言ってるんですよね。
ーー「他人が出した答えが既にある問いはどうでもいい」というのは、たいへん考えさせられる言葉です。
「この思いがどこまで通じるかですよね。今の世の中に。でもね、答えのない問題について考え続けることって、生きることの本質ですよ」
子どもたちとの対話だからこそ、より真剣に向き合い、そこから学問の本質と向き合い方が見出される。川原さんの言葉から生徒たちが学ぶことの大きさは、はかりしれない。
■※「にせだぬきじる」問題と連濁について
日本語では2つの単語をつなげたとき、2番目の単語の先頭の音に濁点がつく場合がある。「あお+そら=あおぞら」「すずめ+はち=すずめばち」などの例で、これを連濁という。
しかし、2番目の単語に濁音がふくまれている場合は、連濁が起きないという法則がある。「ひと+かげ=ひとかげ」「ひやし+そば=ひやしそば」などの例だ。
「にせたぬきじる」は「にせ+たぬきじる」と分解され、2番目の単語に濁音が入っているので、連濁が起きずに「にせたぬきじる」になっていることがわかる。
いっぽう、「にせだぬきじる」の場合は「にせだぬき+じる」と分解される。さらに分解すると「にせ+たぬき」で連濁が起こって「にせだぬき」になり、そこに「しる」が加わってさらに連濁が起き「にせだぬきじる」となっているのだ。濁音ひとつの違いで意味が変わるという非常に秀逸な例。
川原繁人 かわはら・しげと
1980年生まれ。1998年国際基督教大学に進学。2000年カリフォルニア大学への交換留学のため渡米。1年間の留学生活を通してことばの不思議に魅せられ、言語学の道へ進むことを決意。卒業後、2002年に大学院修行のため再渡米。2007年マサチューセッツ大学にて博士号(言語学)を取得。米国で教鞭を執ることになり、ジョージア大学助教授、ラトガーズ大学助教授を経て、2013年より慶應義塾大学言語文化研究所に移籍。現在、教授。専門は音声学・音韻論・一般言語学。過去の著作に『「あ」は「い」より大きい!?:音象徴で学ぶ音声学入門』(ひつじ書房・2017年)、『フリースタイル言語学』(大和書房・2022年)、『音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む』(朝日出版社・2022年)がある。新刊、『なぜ、おかしの名前はパピプペポが多いのか? 言語学者、小学生の質問に本気で答える』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を2023年7月21日に上梓。10月には自身のラップ研究をまとめた『言語学的ラップの世界(feat. Mummy-D, 晋平太、TKda黒ぶち、しあ)』を東京書籍より発刊予定。