最初の20分間は歌とトークで時間を稼いで、最後に“だっちゅーの”でした

ーーネタは放送作家さんが作っていたんですか?

「もちろん、そうですよ。それでも番組に出て続けていくうちに“やっぱりネタは自分たちで考えなくちゃダメだ!”と言われて、一時期、必死にネタを作っていた時期もありました」

ーーちなみに、どんなネタでしょう。ひょっとしたら、覚えてくれている読者の方がいるかも!?

「いやぁ、それが……私たちが考えたネタはすべてボツになってしまったので、一本もオンエアされなかったんですよ」

ーーなんと! ちなみに当時は週末になると、ボキャ天世代の皆さんは全国の営業に引っ張りだこだったと聞きますが、やはり『パイレーツ』も、そうでした?

「はい。他の芸人さんたちと一緒に、よく営業に行きましたね」

ーーそのときのネタは、どうしていましたか?

「1組30分と、けっこう持ち時間が長かったんですよ。でも、私たちには“だっちゅーの”しかなかったから、数分で終わっちゃうじゃないですか。
 だから、最初の20分間はキャンディーズさんの曲を歌って、あとはトークで時間を稼いで、最後に“だっちゅーの”でした(笑)」

ーーほぼ、歌謡ショーだったんですね。

「それでも1日に2回も3回もステージがあると、もう疲れちゃって。“歌を口パクにしたい”とか、わがまま言ったりしてました(笑)」

ーーで、本当に口パクを?

「さすがに、それはなかったですけど、最終的には他の芸人さんたちが“俺たちのネタを教えるから、それをやれ!”って(笑)。舞台裏でササッと教えてもらって、あとはもう、ぶっつけ本番ですよ」

ーーその手応えは?

「それが全然ウケなくて。で、最後に“だっちゅーの”をやると、そこでウケるという……」

ーーなるほど。ちなみに下世話な話ですが、当時は懐も相当温かかったのでは?

「それが私たち、お給料制だったので、どんなに忙しくても、もらえる額は一緒だったんですよ。周りからは“絶対におかしいよ。もっとお金もらえるはず”って言われてました」

ーーそうだったんですね!?

「でも、当時の年齢を考えたら満足すぎる額をいただいていたし、誕生日とかになると社長から高いブランド品をプレゼントしてもらったりもしていたので、まぁ、これでいいかって」

ーー確かに20歳ぐらいでは、まだ、いろいろと分からないですよね。

「今となっては、あのときは、それで良かったのかなって。もし、たくさんもらいすぎてたら、金銭感覚がおかしくなって、後々大変だったと思うから」

ーー確かに、そうかもしれません。

(つづく)

西本はるか(にしもと・はるか)
1978年4月21日、東京都生まれ。小学生のときに女優を目指して劇団東俳に入団。中学2年で「日本国民的美少女コンテスト」本選に出場。97年に浅田好未と結成した『パイレーツ』として、お笑い番組『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)に出演してブレイク。その後、女優やグラビアで活動、現在は歯科助手として働きながら、バラエティ番組などにも出演する。