テロップで流れた時に目立つから憶えてもらいやすい
そして事務所がつけた芸名がひかる一平。
「最初聞いた時は正直、どうなのって。ただ名字がひらがなで名前が漢字というのは番組のテロップで流れた時に目立つから憶えてもらいやすい……という発想だったからだったそうなんですけど、“さすが”と今となって自分が代表になって改めて思いました」
傍からみると、なんて恵まれたスタートだと思えるが、自身の中では葛藤があった。
「最初のうちは敷かれたレールの上を進んで……という感じでしたが、本当にやりたい人達に対して申し訳ない、失礼じゃないかという思いはありましたね。その後、映画に主演させてもらった時も台本もまともに覚えられない状態で、だから現場はカンペだらけ。ただ単に与えられた仕事をこなすロボット。だから今、当時の思い出はありますかって訊かれても、忙しかったという言葉以外何もないんです。僕がアイドルをやっていた時代というのは歌番組が多かったし、アイドル誌もたくさんあった。一日に何本も仕事が入っていたので、いま自分が何をやっているのかよく判らない状態で仕事をしていたんです」
1981年5月には『青空オンリー・ユー』で歌手デビューを果たすものの、6年で事務所を退所した。
「当時、給料制だったんですけど、ドラマ『必殺仕事人』に出演していた頃に、自分の出演料をたまたま聞いてしまって。それで、“これ自分でやった方が良いよな”という悪魔の囁きが自分の中であって(笑)。その頃は歌もやっていなかったですし、『必殺』に出ていたお陰で、2時間ドラマでもいいポジションの話をいただけていたので“自分で食っていけるや”って勝手に思ってしまったんです。いま思うとほんと生意気でしたよね」

『必殺』シリーズのひとつ『必殺仕事人Ⅲ~Ⅳ』(82年~86年)ではライデン瓶(今のスタンガン)で感電死させる仕事人の一人・西順之助を演じた。
「台本は覚えてこない、現場にはギリギリで入ってくる、中村主水役の藤田(まこと)さんを知らない……何も知らない状態で参加していたんです。後で聞いたんですけど、プロデューサーが激怒して13話で降ろすって言っていたそうです。ところが僕がその13話でプロデューサーが思い描いていたピッタリの芝居をしたらしいんですよ。当の本人は何も判っていなかったですけど(笑)。加えて、視聴率も上がってきて。それで、プロデューサーに“役者一本でやるか。だったら俺が面倒を見てやる”と言われたんです」
そこでひかるさんは事務所に相談し、歌手は辞め俳優で行く覚悟を伝えた。ただこの時、プロデューサーからある条件が出された。