テレビドラマ史に残る学園ドラマの名作『3年B組金八先生』シリーズ。その第2シリーズ(80年)で物語のキーパーソンとなる生徒の一人、椎野一を演じたひかる一平。本作の出演をきっかけにタレントとして大いな飛躍を遂げた。しかし、現在では芸能界の表舞台から一線を退いている。ひかるさんに何があったのか──。【第2回/全3回】

ひかる一平さんの芸能人人生は、お姉さんが大手芸能事務所に履歴書を送ったことから始まった。
「姉は芸能界とか、そういうものが好きだったんですけど、僕は全く興味が無かったんです。後に姉にこの話をしたら憶えてないなんて言ってましたが(笑)、今思えば姉のおかげで今があるんだと」
79年に事務所に入所。15歳の時だった。
「その当時はどっちかといったら学校にもあんまり行かないような子だったんで、ある意味入って良かったという部分はありました」
そして、その翌年にドラマ『3年B組金八先生』第2シリーズで俳優デビューを果たす。
「オーディションで決まったんです。そのオーディションも事務所に入ってまだ3か月ぐらいのタイミングでした。事務所から“受けてみなさい”と言われて受けたら受かってしまったという感じです。その3か月間でレッスンに出たのはたった2回。先輩方がたくさんいましたし、僕みたいに突然ヒョイと入ってきて、レッスンもろくにやっていない人間が受かってデビューというのは、歴代でもあまりいなかったので、すごく妬みもあったと思います。僕としては私立高にやっと入れた時だったので、合格の知らせを聞いて “学校休めないな。どうしよう”って公衆電話から親に相談したんです。親は事務所には入っているということはもちろん知っていましたが、オーディションを受けるという話はしていなかったんです」
連絡を受けた親御さんは「撮影期間は6か月だし、学校も何とかしながらやれば良いんじゃない」と、思い出作りぐらいの感覚で、その報告を受け止めた。
「僕も同じ考えでした。ただ、学校側は過去にも芸能活動をしていた生徒の前例がなかったので本名ではダメだと。名前を変えてだったら認めますということになって、芸名が付いたんです。だから最初は未だ芸名が決まっていなかったので本名で出ているんですよ」