ダチョウ倶楽部のラジオが終わっても“会”は続いた
「で、その『ヒッパレ!』が終わって数年後に、ダチョウさんが文化放送でラジオをやり始めたんです。もうそのときは『ボキャブラ』は終わっちゃって、デンジャラスさんもノンキーズもみんなちょっとしんどい状況だったんですけど、ずっと家に居たら腐っちゃうから、ラジオで喋ることはなくても、スタジオに来て、現場の空気を吸うだけでもやらないと駄目になっちゃう、って言って、そのラジオに若手を呼んでくれたんですよね。最初はデンジャラス、ノンキーズとかで、そのうち俺も声をかけてもらって。そこに劇団ひとりとか有吉とか、当時仕事のないやつが集まって、ラジオの収録が終わるとみんなで飲みに行くっていうのがあって、どんどん恒例化されていきました。
ただ、やっぱりダチョウ倶楽部っていうのは話術の人間じゃないんで、ラジオは半年で終わるんですよ(笑)。でも、そのラジオが終わってもその会は続いたんですよね。けっこう密な関係だったと思います。ラジオやってるときも、だんだんと、上島さんとか肥後さんもラジオが楽しみじゃなくて、その後の飲みが楽しみって感じになってましたよね(笑)。僕もそこに行きたいからっていうのがあって、仕事が終わったら車で文化放送に行って、顔出して、終わったら何名かで集まるって感じでした。でも、僕は車だったから、お酒飲まずにずっと付き合ってたんですよ。だから、そこで面白いことがいっぱいあって、これテレビで話せるなってなるけど、みんな酔ってるから忘れてるんですよね。僕だけ飲んでないから、全部冷静にメモってました(笑)。そこで語録を貯めて『アメトーーク!』で披露できるな、って」

「竜兵会」の場は若手から中堅へと変化する時代の貴重な時間となった。
「本当に貴重でしたね。吉本さんみたいに劇場があると、若手から師匠クラスまで定期的に会ったりするんでしょうけど、東京の事務所って劇場を持ってないですし、ライブって本当に若手しか出てないので、売れてテレビのほうに行っちゃうと、もうライブ戻ることがないから同じ事務所とはいえ接点がないんですよね。その接点を作ってくれたのはダチョウさんかな、と。いや、ダチョウさんというか、肥後さんと上島さんですね。寺門は違うので。別に呼び捨てそのまま書いてもらって構わないです。陰口じゃなく、本人の前でも全然平気で言ってますから(笑)」
ダチョウ俱楽部さんに限らず、土田さんにとって忘れられない出会い、先輩との貴重な絡みは数多い。