最愛の母、仮歌の仕事を一度になくし、行き着いた答えは──。

「なので、2024年は呼吸するように自然とやってきた日常がなくなり、息ができないくらいの苦しさを味わいました。どうしてこんなに苦しいんだろう……って、考えて考えて、でもどうしようもなくて。
 だったら、“何もしない”でいいんじゃないかなって発想を転換させてみたんです。“人生、何もしない人”というキャッチコピーを自分につけて(笑)、積極的に何もしないことを選んだんです」

 山下さんは朗らかに語るが、当時は想像できないほどの喪失感だったに違いない。どん底から這い上がるために、いままでの自分を脱ぎ捨てる“THE CHANGE”を決意したのだろう。

「プロのミュージシャンというアイデンティティーも、母の娘という立場も捨てて、いまの空間にいることだけを大切にしようと思ったんです。そう意識し始めてみると、過去にも未来にもあまり興味がなくなり、競争社会の枠組みから飛び出して、すごく解放されたような気持になりました。
 そして、たまにいただくお仕事も心底ありがたいと思えるようになり、より一層歌に心を込められるようになりました。そんなとき、三木たかし先生の曲を復活させるプロジェクトがあるから仮歌を歌ってほしいという依頼が来たんです」