朗らかな笑顔から明朗闊達なイメージのあるサッカー元日本代表の岡崎慎司(39)。ドイツ6部FCバサラ・マインツで監督となった1年目に直面した最大の難関は、意外なことに「人とのコミュニケーション」だったという。
悩むたびに頭に浮かんだのは、滝川第二高校時代の恩師、黒田和生監督の教え。39歳の新米監督は、その言葉や行動に導かれるように、選手から監督への階段を駆け上がった。そして、辿り着いた指導者としての“新境地”とは?(全4回/第3回)。
英語でバーっと指示「ドイツの選手たちは“俺たちばっかりに厳しいな”みたいな」
FCバサラ・マインツの監督に就任して1年。選手時代とは真逆の立場にある岡崎にとって最大の課題は、個々の選手に対するマネジメントだ。
「選手時代は、自分のことだけにフォーカスし続けてきた人生でした。ある意味、その指導方針やチームの考えに沿って、あるいは沿わなくても、自分が強くなっていけば、上がっていけるみたいなところがありました。でも、今はそうじゃない。自分だけで完結してはダメというのがよく分かりました。監督を始めた、この1年間はメチャクチャ難しかったです」
岡崎監督を悩ませているのは何か? チームにはさまざまな背景を持つ選手が混在している。ドイツ人選手にとってアマチュアチームでのサッカーは「ライフスタイルの一つ」であり、人生の優先順位は3~4番目くらいで、家族との時間が何よりも大切だ。一方、日本人選手は明確な夢を抱いてドイツの地に足を踏み入れている。
「全員それぞれ違うし、指示を受け止める選手もいれば、外に矢印を向けている選手もいる。何が大事かというと、いろいろ考えましたが、もうコミュニケーションをとるしかないのです。でも、実は僕が一番、苦手とすることでした」
言語の壁も想像以上に高い。
「英語でバーって言うと、日本語で言っているよりも英語のほうがきつく聞こえるのか、ドイツの選手たちは“俺たちばっかりに厳しいな”みたいな」
選手時代は“岡ちゃん”と呼ばれ、日本中から愛される存在だった岡崎だが、監督業では違うようだ。外国人選手はもちろん、第1回で述べたように、日本人選手たちとのコミュニケーションという名の戦いは、現在も続いている。