ハングリー精神の源泉「本当に単純に、誰にも負けたくなかった。諦めが悪かった」

 杉本氏との出会いで、サッカー選手として、さらなる進化を遂げた岡崎。それを「出会いがもたらした幸運」と言って笑うが、そうしたトレーニングを3年以上も続ける不屈の精神、もしくは、絶対に負けたくないというハングリー精神は常人が持ち得るものではないだろう。そうした岡崎の精神力は、どのようにして培われたのだろうか。

「本当に生まれつきのところもあるのかなと、自分の子どもを見ていると思います。たとえば、環境でいうと僕の家は特に恵まれなかった環境ではなくて、まったく普通に、親も別に裕福ではないけど困ることはまったくなかったんですね」

 あえて言うならば、「無知」であったことが強さにつながったという。

「今の子どもたちを見ていると情報が多いので、分かった気になって諦めが早い。自分の場合は、無知だったこともあって、諦めることができなかった。中学のときには、足が遅いってことには気づいてましたが、でも本当に単純に、誰にも負けたくなかったんです。諦めが悪かった」

諦めが悪かった岡崎慎司。だからこそ、岡崎のプレーは人々の心に響くのだろう。撮影/渡辺航滋(Sony α1使用)

 現在、指導するアマチュア選手たちを見ていて、プロになる選手との違いも感じている。真剣さの違い、勝利への執着心があるかないか。そうした部分で明確な差があり、選手としての成長の差にもつながっている。

 とはいえ、指導者となった今、岡崎は選手時代には気づかなかったサポートの重要性を改めて実感している。

「日本から選手に来てもらいながら、一方で、僕らは昇格していかなければならない。チームとしての昇格も大事にしつつ、個人へのフィードバックもしなければならない。たとえば、自分たちが選手たちの働き口なども斡旋して、ちゃんと働いているのかという話もしながら、黒田先生の教えじゃないですけど、選手として、人間として両方の観点から見ていかなければいけないと考えています」

 選手時代の栄光からドイツ6部リーグで人間関係の複雑さに直面する日々。しかし、恩師から受け継いだ教えを胸に、岡崎は指導者としての道を歩み続けている。

第4回に続く
 

 

おかざき・しんじプロフィール
1986年4月16日生まれ、兵庫県出身。2005年に清水エスパルスに入団。2010年までストライカーとして活躍後、ドイツ、イングランド、スペイン、ベルギーでも挑戦を続け、レスター・シティFCの一員としてプレミアリーグを制覇。日本代表として3度のワールドカップに出場し、歴代3位となる50得点を記録した。昨年5月、ベルギー1部シント=トロイデンVVで現役を引退。現在ドイツ6部のFCバサラ・マインツで監督を務める。感動を呼ぶゴールシーンから「一生ダイビングヘッド」、「魂のストライカー」などと呼ばれることも。