現役を離れて気づいた器の大きさ「黒田監督のような監督になりたい」
岡崎が考える指導者像の根底には、滝川第二高校時代の恩師・黒田和生監督がいる。
「黒田先生にはメンタル面というか、サッカーには人間性が重要だということを口酸っぱく言われ続けました。サッカーだけじゃなく、高校生活もちゃんとしなさいと指導されて、授業中にパッと外を見たら、先生がずっと僕を見ていたりとか…怖いですよ。あいさつなんかも厳しかった」
今も印象に残っているのは、サッカーの練習以外のことだ。寮生は毎週、NHK『プロジェクトX』を視聴して、感想文を書くという課題を出された。
「毎回見ていると、絶対に成功する前に、何かしらの悲劇やトラブルなど、うまくいかないことがある。でも、そこを突破すると大きな成果が得られる。高校年代で、あれを理解できたのは大きかったです」
黒田監督の厳しさは、時として容赦なかった。ある試合でオーバーヘッドキックを試みてゴール。1-0の勝利の立役者となった岡崎を、試合後に叱責したことがあった。
「お前はいつだってヘディングしていたのに、調子に乗ってオーバーヘッドしたな、みたいな感じで言われました。いやいや、あの場面でへディングでやったら入ってないから…とか言い訳はメチャクチャあったんですけど、監督にそうやって言われて、悔しかったですね。でも、昔の高校サッカーの監督って、ちょっと理不尽なことを言われても、選手は逆らえないみたいな感じはありましたよね」
岡崎は、そういう部分も含めて、「黒田監督のような監督になりたい」と監督への憧憬を口にする。
「当時は“なんかうるさいおっちゃんやな”みたいなイメージもあったんですけど、現役を離れてから、黒田監督の器の大きさ、すごさに気づきましたね。自分は黒田先生のように、人生の岐路に立ったときに、その教えが生かされるような人間になりたいですね。一緒にバサラをつくった2人もそうですし、バサラ兵庫とバサラ・マインツ合わせると、滝川第二高校出身が7人もいるんです。黒田先生が紡いでくれた縁、そして人間としての“芯”のような部分が今も確かにあると、仲間たちとも話しています」