20代前半「これから先、僕らどうなっていくんだろうという不安はいつもありました」
当時感じていた風当たりの強さの正体が、実は単なる憧れや羨望(せんぼう)の眼差しだったと高橋さんが知るのは、ずっと後のこと。次第に、グループでの音楽活動と、個人の成長の間で、心が大きく揺れるようになっていったという。
「いまになって、昔の仲間たちが“おまえたち(男闘呼組)は、自由にやれてうらやましかった”と言ってくれますが、当時は僕らだけが異色で、孤立していると感じていました。まだ20代前半と若く、これから先、僕らどうなっていくんだろうという不安はいつもありましたね。
 一方で、自分のやりたいことが見えてくるころでもあって、それにかけてみたいという気持ちもあったんです。たとえば(岡本)健一は、その後ずっと歩んでいくように、舞台演劇の世界に行きたい気持ちがあっただろうし、(成田)昭次は、ギタリストとして道を極めたいと思っていただろうと思います。(前田)耕陽はエンターテイナーとして、バラエティもドラマも音楽もやる、もっと自由でマルチに活動したいと考えていたでしょう。僕は、映画俳優とソロミュージシャンとして、自分の世界をつくりたいという思いがありました。
 そうした個々の思いって、グループに必ずしも良い効果をもたらさないこともあるんですよ。特にあのころは、そうでした。そういう意味でも、誰も我慢しないグループだったし(笑)、自立心も強かったんです。僕らは前例がないことをやっているんだ、パイオニアになるんだという気持ちが、あのころの4人にはすごくあったと思います」