1965年の東京大学在学中に『第2回日本アマチュアシャンソンコンクール』で優勝して歌手デビューし、1966年『赤い風船』でレコード大賞新人賞。宮崎駿監督のスタジオジブリ・アニメ映画『紅の豚』では声優としてマダム・ジーナ役を演じたことでも知られる加藤登紀子のTHE CHANGEに迫る。【第1回/全2回】
もともと、歌手になるつもりはなかったんですよ。でも、気づいたら歌手になってました。家庭の環境もあったんだと思います。
父は若い頃にロシア音楽に触れたりして、歌手を目指していました。そして、母と恋に落ちるんです。でも、母の家族は大反対。「歌手になりたいなんて言っている男はダメだ」って、送られてきたラブレターも捨てられてしまったと聞いています。そこで仕方なく父は歌手の道を諦めて満州鉄道に就職をして、母を迎えることになりました。私が生まれたのも、満州のハルビン市です。
戦後、引き揚げてきて、父はキングレコードのディレクターになります。両親は子供に音楽をやらせたいと思っていて、姉はバイオリンを弾いていました。国立音楽大学を卒業して大阪フィルハーモニーに入っています。
私も生まれたときから、音楽に囲まれて生活をしていました。ただ、私はピアノを習いに行きなさいって言われても、断っていたんです。家族みんなが、あんまり音楽が好きすぎて癪に障ると思ったわけ(笑)。「私ぐらい音楽しない人がいてもいいんじゃないの」って言ってました。
ただ、実は他にも理由があって。私は声が低いんですよ。だから音楽の点はいつも悪い。合唱コンクールでも、主旋律は歌わせてもらえないの。正直に言えば、音楽は好きなんだけど、声が低いというコンプレックスがあるから、遠ざけていたのね。ひねくれていたんです。
私の高校時代は、60年安保の時代。高校生でもけっこう、安保闘争を精力的にやっていた人もいて、そういう人たちは大学進学を拒否していましたね。「東大を潰せ」って、そんなことを言ったりするような時代なんですよ。そんな中、私は自由に高校時代を過ごしていたら、成績が落ちてしまったんです。先生に「おまえは何やっているんだ」って怒られてね。