漠然と「就職はしたくない」って思っていました

 ただ、「私は高校時代にやるべきことをやってるだけで、別に大学行くために高校に行っているわけではないから、ほっといてほしい」と、ケツまくってやったの (笑) 。それで、そんなに成績のことを言うならば、東大に受かってやるって。そう宣言したことがきっかけになって、勉強して、東大に進学することになります。

 でも、東大に進んでも将来、何になろうとか具体的に考えていたわけではないの。入学して言われたのは、「東大に来た女子は就職できないぞ」ってこと。そういう時代だった。大卒の女子は扱いにくいと見られていて、さらに東大出身となれば、ほとんどの会社は採用してくれない。研究者として大学の先生になる道ぐらいしかないって言われていましたね。

 そんな時代だったのもあって、将来の仕事について深くは考えていなかったけど、漠然と「就職はしたくない」って思っていました。

 転機は東大在学中に「日本アマチュアシャンソンコンクール」で優勝したこと。音楽協会にいた父の影響もあって、それをきっかけに、歌手の道に進むことになります。やっぱり、ひねくれているだけだったから、音楽は嫌いじゃなかったですね。それにシャンソンというジャンルも好きでした。エディット・ピアフは私の憧れ。当時はフランス文化がすごかったんですよ。映画はアラン・ドロン、文学はサルトルと、フランスからの風が吹いていました。

 ただ、いざデビューとなると、当時の日本の芸能界は演歌かムード歌謡しかなかった。もちろん他のジャンルの音楽もあったけど、メジャーな歌手になるためには、この2つだけ。そして事務所内では、シャンソン歌手の私は「売れるわけがない」と思われていたようです。

(つづく)

加藤登紀子(かとう ときこ)
1943年、満州国ハルビン市生まれ。65年の東京大学在学中に『第2回日本アマチュアシャンソンコンクール』で優勝して歌手デビュー。66年『赤い風船』でレコード大賞新人賞。自作の『ひとり寝の子守唄』(69年)、森繁久彌のカバー『知床旅情』(71年)はミリオンセラーとなっている。宮崎駿監督のスタジオジブリ・アニメ映画『紅の豚』では声優としてマダム・ジーナ役を演じた。

「加藤登紀子ほろ酔いコンサート2025〈60周年 感謝祭〉」
年末恒例の日本酒を飲みながら歌う「ほろ酔いコンサート」。開場時間にロビーで日本酒の樽酒が振る舞われ、観客もほろ酔い気分で鑑賞することができる。今年も12月6日の京都劇場を皮切りに、全国6都市7公演を催す予定。詳しくは加藤登紀子公式HP(https://www.tokiko.com/)へ!