1965年の東京大学在学中に『第2回日本アマチュアシャンソンコンクール』で優勝して歌手デビューし、1966年『赤い風船』でレコード大賞新人賞。宮崎駿監督のスタジオジブリ・アニメ映画『紅の豚』では声優としてマダム・ジーナ役を演じたことでも知られる加藤登紀子のTHE CHANGEに迫る。【第2回/全2回】

加藤登紀子 撮影/柳敏彦

 売れるためには、声が高くて、目が大きくて、背が高いというのが条件とされていたけど、私はすべて逆。マネージャーは、「加藤登紀子にレコード大賞の新人賞をとらせたい」って意欲的だったけど、事務所内では「ありえない」って笑われていたようです。

 私としては丸山明宏さん――今の美輪明宏さんが出てた『銀巴里』でシャンソンを歌ったり、中村八大さんのツアーについて行って、自分で作った曲を歌わせてもらったりしていて、自分なりに充実はしていたんですけどね。

 そんな中で小林亜星さんが作ってくれた『赤い風船』で、1966年に新人賞をもらいました。すると、事務所は喜んで、これはもしかしたら売れるかもしれないって期待感が生まれてきて。

 それから3年間、私は歌謡曲路線で本当に頑張ったんです。当時は新人歌手が少ない時代だったのもあって、とにかくテレビ番組にはたくさん出演させていただきました。ただ、忙しくても、とにかく仕事をこなしているだけで、今から思うと何も身になっていない。

 1968年3月に東大の卒業式を迎えることになります。当時は東大紛争の真っ最中。学生たちが要求を通すために、卒業式をボイコットすると聞いていました。

 この日、卒業式を迎えるにあたって、歌謡曲路線を走っていた3年間は本当に何者でもなかったって感じていたんです。式後、私は振り袖姿で取材に応じることになっていましたが、「もう何を言われてもいいから自分の思うことをやってやろう」って、ジーンズ姿でボイコット側の座り込みに加わることにしました。自分勝手なことをしたので、「これはクビだな」って覚悟をしたのですが、世間は「よくやった」って私の行動を喜んでくれた。世の中がそういう風潮になっていたんですよね。