口上をローマ字にして必死に覚えた
「いやぁ、ものすごく緊張したね。こんなに緊張するものだとは思わなかった。口上は師匠(高砂親方=元横綱・朝潮)と一緒に考えたんだけど、口上をローマ字にして必死に覚えたんだよ(笑)」
と振り返る小錦さん。
現役時代の小錦さんの勇姿この場所の優勝は、大関・大乃国だったが、大関で13勝を挙げた「サンパチ組」北勝海が横綱昇進を決めて、奇しくもW昇進となった。
大関となった小錦がもっともほしかったものは、初優勝だった。ところが、大関昇進時、横綱に千代の富士、双羽黒、北勝海、大関には朝潮(元高砂親方)、若嶋津、北天佑(元二十山親方)がいて、上位の層がとんでもなく厚かった。そうしたこともあって、必死の土俵が続いていたが、89年九州場所、ようやくチャンスが巡ってきた。
カド番で臨んだこの場所、なんと初日から11連勝。12日目は北勝海に敗れて、1敗を喫したものの、13日目には同じく1敗の千代の富士を豪快な突き出しで破り、優勝争いのトップに。そのまま千秋楽まで白星を重ねた小錦は、悲願の初優勝を果たした。
「自然に涙が流れてきてしまって……。この涙を“初優勝で感激したうれし涙”だと報道されたけど、ホントは違うんだよ。“なんでもっと早く優勝できなかったんだ!”って、情けなくて流した涙だったんだ」
そしてこの時「“もっとがんばらなければ!”と優勝してあらためて思った」と振り返る小錦さんは、2年後の93年九州場所で2度目の優勝を遂げる。