94年春場所では13勝2敗で3度目の優勝を果たしたが…

 翌94年初場所は12勝3敗。事実上「横綱昇進」がかかった春場所では、13勝2敗で3度目の優勝。当然、「新横綱・小錦」誕生となるはずだったのだが、

「“5月の夏場所の結果を見てから”ということになってしまったんですよ。多くは語りたくないけれど、そうした事実を自分の中で受け止めるのに時間がかかりました」

 そう言って。小錦さんは唇を噛む。

 時代は「若貴ブーム」が到来していた。88年春場所初土俵の若花田(のち若乃花)、貴花田(のち貴乃花親方)、曙の若手が三役まで上がってきている。

 「外国人初」の横綱を狙う小錦は、相撲協会やメディアから、その「品格」を問われていた。外国出身力士の「品格」に関しては、現在でも議論が絶えない。言葉や生活習慣のハンデを乗り越えて、なおかつ稽古に励む外国出身力士への偏見。小錦さんの「悩み」はさぞ深かったことだろう。

 その夏場所で、賜杯を抱いたのは、ハワイ出身の後輩、曙だった。「サンパチ組」の横綱・北勝海は場所前に28歳で引退を表明。一方、小錦は9勝6敗の成績で終わり、「綱取り」は振り出しに戻った。

 相撲界は、新しい時代に向かおうとしていた。

(つづく)

小錦八十吉(こにしき・やそきち)
1963年12月31日米国ハワイ州オアフ島生まれの元大相撲力士。外国人力士として初の大関として活躍。1982年:ハワイ大学付属高校卒業後、高見山 (現在の東関親方)にスカウトされ高砂部屋に入門。[大関通算成績]733勝498敗95休 [幕内成績]649勝 (歴代8位) [大関在位]39場所 (歴代4位)[三賞]殊勲賞4回、敢闘賞5回、技能賞1回

引退後は、タレント、アーティスト、イベントプロデューサーとしても活動し、テレビやCMに多数出演。NHK教育番組『にほんごであそぼ』レギュラー出演(2000年〜2023年まで20年間出演)。その他、ハワイアンミュージシャンとしてはアルバムを13枚出している。最近は オリジナルのBBQソースを開発し BBQマスターとしてイベントを開催。相撲普及活動にも力を注いでおり、世界中で相撲イベントを開催中。

<ボランティア活動>
ハワイ幼少期から精力的に行なっており、日本では1998年KONISHIKI基金設立し、毎年ハワイの子供たちを日本に呼び日本文化を体験させる活動を10年間続けた。阪神淡路大震災、中越地震、東北大震災、熊本地震後には友人を募って物資を届けたりちゃんこ鍋や BBQの炊き出しを行なったりした。東北の子供たちにはコニサンタプロジェクトとしてクリスマスプレゼントを3,000個届けた。